AWS社・上田さんに聞く!「進路の話」

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Lyra(りら)(S高1期生・ネットコース)
にら(N高7期生・ネットコース)
石田(N高6期生・ネットコース)

「進路とか、将来の夢とかよくわからないし……。」

みなさんは自分の進路についてきちんと考えられていますか?また、大人になった自分の姿を想像することはできますか?

N/S高では月に数回、きちんと考えることの難しい進路について考えるためのイベント「10代からはじめる! 社会の『シゴト』研究会『My Choice Is…(MCI)』」が開催されています。このイベントでは、様々な職業につく方々から、仕事のやりがいや職業についた経緯、進路選びなどについて経歴に沿ってお聞きすることができます。

先日、6月6日に開催された「Amazon Web Service(AWS)で働いている人に話を聞いてみよう!」では、AWS社員とNPO法人理事という二つの肩書きを持つ上田圭祐さんが登壇してくれました。

そこでこの記事では、パワフルさ溢れる上田さんから語られる仕事の話、考え方・キャリアについてのお話について、参加したN/S高新聞実行委員の視点でお届けします!

目次

AWS社でのお仕事

上田さんは初めに簡単な自己紹介と、Amazonという企業について紹介してくださいました。

上田さんのお話によると、AmazonはECサイトにとどまらず、無人コンビニであるAmazon Goの設置、音声に反応し、私たちの生活の手助けをしてくれるAmazon Echo(Amazon Alexa)の販売なども手掛けているそうです。

そんなAmazonで上田さんは、「AWS」というサーバやデータベースといったITインフラを売るサービスの営業を担当していると話してくれました。

上田さんはNPO法人、公益社団法人といった非営利団体をお客様として、AWSの知名度を上げるため、日々営業として売り上げを上げることに注力しているそうです。

上田さんのお仕事内容

鴻鵠塾での活動

続いて、上田さんが現在AWSに勤める側で運営されている鴻鵠(こうこく)塾について紹介します。

「鴻鵠」とはコウノトリや鶴のような大きい鳥をさす言葉で、鴻鵠は空高く飛び上がることで世の中を俯瞰して見ることができます。上田さんは「自分の人生を考えた際に、何のために社会に出るか、なぜ働くか、何のために生きているかということも考えながら、仕事を選んでキャリアを考える。鴻鵠の視点を持つことを理念とし名付けました。社会人も学生も、自分の中で目指す形を考え行動できる人になっていくことによって、日本が、世界がより良くなっていくんじゃないかな。」と語られていました。

鴻鵠塾活動概要

鴻鵠塾はNPO法人ですが、設立する際には株式会社としての設立も視野に入れていました。しかし、学生さんにとっての安心感や、ボランティアに参加する社会人にとってのキャリア、ご自身のブランディングなど、様々な理由からNPO法人を立ち上げることとなりました。

設立当初である2008年当時はリーマンショックにより、就職活動が非常に大変な時期だったそうです。当時の大学生に対し、ご自身の経験を交えながらのキャリア支援から始まり、活動を続けていくことで徐々に参加者数が増えて行きました。2018年には学生の売り手市場になったこともあり就活に余裕ができたことから、本来の目的であった「社会人も学生も知っておいた方が良いこと」をテーマに、学生と社会人でディスカッションを行う活動を始められました。

鴻鵠塾は「勉強会」と「参加型プロジェクト」という活動を主軸にしています。

受講生は、毎月の勉強会を通し、社会人から想いや社会の情報を学びます。そして、勉強会から得られた知識や仕事に対する価値観を学生同士で共有することで、視野を広げることができるのです。

しかし「ただ話を聞くだけでは成長することはできない。」と、上田さんは語ります。

自身が成長するためには、様々な経験から小さくても良いので成功体験を重ね、自信を持ち、自分で能動的に動けるような人材になる。上田さんは、そのようになれる場の準備も行っています。

これらの活動は今年で15年目になり、全てボランティアで行われているそうです。

新勉強会について

勉強会で話される数々の社会人を募っているのも上田さん自身です。お酒やゴルフなどを通した従来の社会人型コミュニケーションをされない上田さんは、大学生時代から様々な会の幹事を500回程行い、そこで知り合った社会人との経験から得られたものを活かすことにより、このような活動を支えているのだと語りました。

NPO法人理事ととAWSでの仕事の両立

AWSとNPO法人理事のお仕事について話してくださった上田さん。どちらも、とても密でパワフルさのいる仕事だなと感じました。

では、上田さんはそんな二つの仕事をどのように両立しているのでしょうか? イベント終了後、インタビューでお聞きしました。

ーー複数の物事を並行して行うコツを教えていただきたいです。

一つあるとしたら、ゴールの設定ですね。

例えば、鴻鵠塾の勉強会を6月11日にやるとします。では、その6月の勉強会の告知をいつやるか。11日までに行わないと意味がないですね。その他にもお話しをしてくださる方へのメールなど、その日までにはこれをしておかないといけないよね、という形でスケジュールと優先順位を決めながら複数のことを同時に行っています。

ーー上田さんが思う原動力は何ですか?

そうですね。僕はですが、人間は自分に得がないと動かない動物だと思っています。

例えばボランティアであれば、格好良く言えば自己実現のためかもしれないし、人に認められるっていうことが自分にとって気持ちいいのかもしれない。

相手にいかに価値(=モチベーション)を持ってもらうかはすごく難しいです。特にボランティアは仕事と違って対価がないので。しかし、その価値が原動力になると考えています。

上田さんの学生時代

現在では様々なキャリアを経験し、AWSに勤めながらNPO法人の運営をされている上田さん。では、現在の上田さんを作った学生時代はどのようなものだったのでしょうか。
上田さんは、自分の学生時代についてこのように語られました。

上田さん「僕は元々医者を目指していたんです」

大学入試前後のモチベーション

「小2から7年間好きだった女の子が看護婦さんになりたいと言っていて、じゃあ僕は医者になるよと。何とも情けないきっかけですが、医者のことを調べたりテレビドラマで見ていくうちに興味が湧いてきて医者を目指しました。

大学進学の際、浪人は2年間という約束を親として、約束通り2年間浪人するも結果は出せず。そこで医学部を諦めました。
新しい環境に入って、でも小学校の頃から目指してた医者を突然諦めてもやりたいことは見つからなくて、自分は何の為に大学に行っているんだろうと凄く悩みましたし、荒れました。」

就職活動中のモチベーション

就職活動をしても、正直やりたいことは分からなかったです。でも、就職活動を通して、小中高の筑波大附属の先輩40人くらいにアポを取りお話を聞く機会をいただいて、社会人のお話を聞くとこんな面白いんだ、と。人と会う楽しさに目覚めました。

先輩との交流を通して様々な経験をさせていただいて、そこで学んだんですけど、どこでも自分の持っている強みを認知してもらうことは大切です。

それを認知してもらうためにはやっぱり、自分の実体験から伝えることが重要だと思っています。学生の頃はどんどん行動してどんどん失敗して。失敗から学んでいけばいいんじゃないかな。そして自分の行動記録をちゃんと取っていた方が、どんな失敗をしてどんな学びがあったかっていう振り返りができて、自身がより成長すると思います。

僕は小学校1年生の時から社会人の途中までかな、20年間毎日日記を書いていました。

ーー学生時代の出来事で今に強く結びついている経験を教えていただきたいです。

中学から野球部だったんですけど、高校に進学すると同級生のうち野球部に入ったのが3人だけで。野球をやるのであれば本気で甲子園を目指すぐらいやりたかったんですけど、3人だと難しいなと感じて、違うスポーツもやってみようとサッカー部に入部したんです。

けれど当然高校からサッカーを始めたって、ずっと2軍のスーパーサブみたいな感じで。

野球をやっていた頃は試合に出られないことはなかったので、試合に出られない人の気持ちって今までわかんなかったです。嫌なやつなんですけど。

でもサッカーでは試合に全然出られなくて。1年生が試合に出て、自分は出られないみたいな。

情けないなと思いながら、でもそういう人の気持ちが分かったりするっていうのは、自分にとって悪いことじゃない。そこから得られることもあるなとは思います。

サッカーが下手なんで大変でしたよ。顧問の先生からすごく怒られたりして。でも、逃げずに頑張ってやったなっていうのは、自分の中でやりきったっていう自信に繋がると思います。

上田さんが歩んできたキャリア

第二部では、上田さんがこれまで歩んできたキャリアについて話してくださいました。

AWSで働きながらNPOの運営をしていらっしゃる上田さん。「こんなにすごい人なら順風満帆なキャリアを歩んできたのだろうな」と思っていたのですが、その予想が大きく覆ります。

「社会人になって一番初めに入った企業は、IBMという世界最大手のテック企業でした。
僕がこの会社に入った理由はそんなに立派なものではなくて、『大企業なら給料や福利厚生もいいし女の子にもモテるんじゃないか』っていう気持ちでいました。」

当時は、りそな銀行さんの営業担当で、同社の基幹システムをIBMの製品で運用していたのですが、公的資金が注入されたことにより、りそな銀行さんから『システムに投資できないから1年半は仕事はありません!』と言われてしまい、りそな銀行さんの担当だった僕は仕事がなくなってしまいました。

なんと入社57日目で「仕事がなくなる」状態を経験した上田さん。「一見喜ばしいことのように見えてしまうかもしれませんが、会社にいてもやることがないというのは人生で一番の苦痛でした。」とも話されていました。

「この時は上司とも合わなくて……かなりきつかったです。」と話す上田さん

キャリアへの追い風

上田さんは、社会人1年目〜4年目までは、合わない上司と仕事で苦労したといいます。しかし、社会人5年目で初めて部署異動を経験したあと、キャリアが上向きになってきたそうです。

「社内の営業のサポートをする部署に配属されたあと、改善活動(※)を立ち上げました。

新しいことを始めることが好きだったので、年間5つほどの改善活動を立ち上げていましたが、そのうちの1つの活動が日本支社の改善活動の大会で1200チーム中の1位になり、日本支社の社長から表彰されて、日本支社の代表としてニューヨークの本社に行き、発表をして参りました。」

※改善活動…会社の日々の業務や作業を改善し、生産性や品質の向上などを目指す一連の活動のこと。

出典…朝日新聞デジタル
日本で一番改善活動をした社員として、ニューヨークの本社にてプレゼンもしたそうです。自分の特性と合致した業務に巡り合うってこんなにもすごいことなのかと驚きました。

転職で天職に出会う!?

ニューヨークでプレゼンした後は、AIなどの最先端の技術に関する新規事業の立ち上げに数多く取り組んでいたという上田さん。そんな上田さんに、「ギフト」が届きます。

「『セールスフォース』という会社から、日本で初めてのポジション『非営利団体への営業』に挑戦しないか? と声をかけていただきました。自分で非営利団体の運営をしていたことで、日本の非営利セクター全体に貢献できる仕事内容や、セールスフォースの社会貢献を重んずる社風に惹かれ、転職を決意します。」

鴻鵠塾の運営をしていたことなどが決め手になり転職を決意したそうです。

「最初は、『非営利団体にものを売るなんてできるかな……』と不安だったのですが、年下の社員さんにも積極的に仕事の質問をして、0から仕事を頑張りました。
不安だった一方で、とても楽しかったです。新規事業の立ち上げが好きで非営利団体の運営もしている僕にとっては天職でした。」

社内起業家(イントレプレーナー)として千差万別の事業に携わったという上田さん。
「非営利団体の運営と会社員を同時にやっていた僕からしたら、すごく理想的な環境でした。」とも話されていました。

先の見えないキャリアと、今私たちがすべきこと。

これまで、自身の歩んできたキャリアについて話してくださった上田さん。
最初から順風満帆だったわけではなく、多くの苦悩とともにキャリアを歩んでおられましたよね。
では、今のお話を私たち中高生に当てはめてみましょう。
私たちのキャリアというのは、どのように変容していくのでしょうか? 上田さんは「先が見えなすぎる社会だからこそ、準備がとても大切になる」といいます。

「コロナウイルスや第四次産業革命とも言われる爆発的な技術革新などの影響で、社会は大きく変化しています。
例えば、コロナウイルスは働き方をあまりにも大きく変え、リモートワークを普及させましたよね。他にも、人工知能やロボットの発達が凄まじすぎて、それらによって将来代替されてしまう職業が研究されていたりもします。」

「今の社会の革新は、破壊的な方法で行われていて全く予想ができない」と話す上田さん。

「多くの人はまだどのような仕事をやりたいのかわからないと思います。オックスフォード大学が今ある仕事の47%がなくなると言っているなら尚更です。
とは言っても、人生の中で『仕事』に対して使う時間というのは非常に多いです。」

「人生を80年生きたとして、そのうちの40年働くと仮定した場合、70万時間のうち10万時間(=15%)もの時間を人間は仕事に使う。」と上田さん。

「せっかく人生の15%を使うんだったら、楽しんでやれるように全力で準備したほうがいいと思います。
その準備のためには、社会の変容を他人事にしないで全部自分ごととして捉えることが鍵になると考えています。」

上田さんは、イベント終了後インタビューに応じてくださり、「社会のことを自分ごとにするためにはどうすればいいと思いますか。」という質問に答えてくださいました。

「自分が興味を持った会社や業界で実際に働いてみるといいのではないかと思っています。
実際に自分の肌で経験しないとわからないことは本当にたくさんあるので、社会のことを身近に感じるためには社会を体験するのが一番かなと思います。
ただ一方で、視野が狭まっても良くないので、学生のうちからさまざまなことを経験することも大切かなと思います。実際に社会のことを知っていくフェーズの時に、興味がある業界や会社はなるべく多いほうがいいと思っています。仕事を楽しんでやれる場所に会える確率が増えるので。」

私たちが先の見えない社会でいいキャリアを形成するためすべきことは、「社会のことを自分ごと化」すること。そのためには、さまざまな社会をこの目で確かめていく必要がある。

私は上田さんのお話を聞いて、「よりいいキャリアを歩むためにたくさんのことを経験しよう、そのためにたくさん行動していこう。」と思いました。
もし同じように思ってくれた読者がいたら、ぜひ一緒に頑張りましょう。

変わりゆく未来に向けて、私たちはどうあるべきか

上田さんは、ワークショップの最後に「過去に必要とされた人は全ての教科で80点を取れる人ですが、これから必要とされる人は、苦手な科目があっても他の科目でずば抜けて高い点数を取れる人だ」と話してくれました。

ただ初めは私自身、苦手をそのままにしておくということに対してあまり納得することができませんでした。
ではなぜ苦手があってもいいのか。
それは、人は一人ではなく、チームで仕事をするからであると、上田さんは説明してくれました。

「日本ってやっぱり『平均点取れ』とか『オール80点取れ』みたいなことをいう国だと思います。僕は、全部が10点とか20点といった低い点数だとちょっと困っちゃうし、5点などのように極端に低い点数が何かあるのもちょっと困っちゃうと思いますけど、何か50点くらいの平均値の教科があっても別にいいと思います。」

「50点しか取れないような、苦手な教科を伸ばす努力をするのではなく、得意な数学や理科を伸ばし、並外れた能力を得る努力をした方がいいと思う。」という主旨の説明をしてくださった上田さん。

私は「今後必要とされるもの(未来)」のグラフにある、100点を上回る教科の点数は、その人の能力が100点満点のテストを超えるのものであるということを、点数を上乗せすることで表していると解釈しました。

「だってさ、オール80点の人が5人集まっても400点にしかなれないけれど、様々な分野の得意技をもつ人が5人集まれば1580点にもなれるんですよ。」

1チーム5人で、1人1科目を担当すると仮定した時の合計点を表した図

上の二つの画像は、それぞれのチームのメンバーを5人とし、1人1科目を担当すると仮定した時の合計点を示しています。
一つめの、全てで80点を取れるメンバーを集めた「厳しいチーム」は、メンバーそれぞれが80点以上を取れる科目を持っていないため、合計点は400点になってしまいます。
しかし二つめの、メンバーそれぞれが、異なる科目を得意とする「理想のチーム」ならば、それぞれが得意な科目一つを担当することで、1,580点といった高い点数を叩き出すことができるのです。

上田さんは、この図を用いて、それぞれが自分の得意分野でお互いをフォローし合うことで、より優れた成果を出すことができるということを説明してくれました。

また上田さんは、得意なところを伸ばし、自分はオンリーワンの存在であるといった自信を持つためには、日頃から小さな成功体験を積み重ねることが重要だと話していました。

自分ができないことはそのまま認めること。また、自分の得意な分野で、成功体験を積み重ね少しずつ自信を持つこと。
今後私は、できないことに対する負の感情を抱くのではなく、小さくても自分にできそうなことからチャレンジしてみるという前向きな気持ちを持つように心がけたいと感じました。

終わりに

本日お伝えしたいこと
上田さんは、就職活動の話の際に「社会人の皆もキャリアには悩んでいるので、学生の方々がわからないと思うこと自体が僕は当たり前だとは思います。」とも言われていました。
私はいままでキャリアについて考えることが苦手だったのですが、今回のワークショップを通して、キャリアについて考えることは難しくとも自分にできることはあると感じました。自分の強みを伸ばし、周囲の人に自分の強みを伝えることができるよう、様々な体験をしたいです。

この記事が、皆さんの将来を考えるきっかけになれば幸いです。

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