飯森エマ:クリエーションと学園生活のはざまで
取材・文=Seitaro Hagihara(S高1期生/通学コース)
飯森エマは17歳のN高生である。——この一文は彼の真新しい形容になる。というのは、インターネットを数分ばかり渉猟すれば、すでに飯森エマに言及する決して少なくはない文献にアクセスできるからだ。曰く、神話や落語、数学を好み、クラシックとボーカロイドを往復する音楽家であり、ギフテッド。今回の取材により、先の言説に加えてもう幾許かの(切り揃えられた黒い長髪のレイヤー。カムイを尊敬し、オーケストラ公演を明後日に控え、新約聖書とサブカルチャーを愛する。そして引っ越すならば北欧のN高生だという)秘密が詳らかになる予定だが、それ以上の秘密があるとすれば、彼の作品と会話することでのみ明かされるだろう。
自己紹介をお願いできますか。
エマ:はじめまして、飯森円舞と申します。2007年3月2日生まれのN高7期生、基本的に作曲業をして過ごしている者でございます。一、二年ほど前に「news every.」でギフテッドとして紹介され、いろいろなところでネタにされているひとです。よろしくお願い致します。
エマさんがN/S高に進学された理由は?
エマ:中学生時代にある大きなトラブルに巻き込まれ、心身の調子を崩してしまいました。また、もともと不登校だった過去があり、出席日数などの都合から全日制高校には進学が叶わず、通信制高校を目処に探していたところ、母がインターネット上のN/S高に関する記事を紹介してくれたことがきっかけです。N高とS高のうち、N高を選んだのは、単に沖縄が楽しそうだったから。
エマさんの音楽活動のはじまりについて教えてください。
エマ:私自身が音楽家の家系といいますか、幼少期から音楽には親しんでいました。それとは別に、中学生のとき、ボーカロイド音楽——ボカロというものに初めて触れて、そこから本格的に音楽を始めてみようと思いました。
どういったきっかけでボーカロイド音楽を聴くことになりましたか?
エマ:ちょうどそのとき流行っていた、歌い手のまふまふさんや、メガテラ・ゼロさん、そのような方々の話題でクラス中がもちきりになり、私も聴いてみたらドハマりしました。
times*1にて、エマさんの曲がオーケストラになるという、にわかに信じがたいニュースを拝見しました。詳しい事情を伺ってもよろしいですか?
エマ:今から一年ほど前に、大阪を拠点とする「日本センチュリー交響楽団」の方からお話をいただき、金管楽器、木管楽器、弦楽器、打楽器、それぞれのパートを全て自ら書いた、管弦楽作品を作りました。ややバージョンは古いのですが、少しだけ中身をお見せしようと思います。こんな感じです。
エマ:もともとボーカロイド音楽を作っていることをお話ししましたが、それとはまったく別の関係から私の音楽活動を知った方から、オリジナルのオーケストラ曲を書いてくれと依頼されたのがきっかけです。この曲の演奏会が、ちょうど明後日(インタビュー時)の3月17日ですね。題名は「Massiarise」という、新約聖書をベースとした作品です。ただ、一年前はボカロ、つまりDTM——コンピュータ音楽ばかり作っていたので、楽譜を書いた経験が殆どありませんでした。それなのに、(作曲依頼の際に)提示された締切が、四ヶ月。最終的に二ヶ月ほど延長されたものの、地獄の半年間でした。今でも強く印象に残っています。
私は音楽制作に明るくないので、完全に理解することはできませんが、突然「半年でオーケストラの曲を書いてくれ」と言われたら、どんな心境なんだろう。
エマ:依頼してくださったのが「気の良い大阪のおじさん」みたいな方で、まさか本当じゃないだろうと思っていて。「ああ、じゃ、全然機会があればやりますよ」と場の勢いで言ってしまったら、その流れのまま話が進んでしまい、どんどん周りの大人が大騒ぎし始めるんですね。当時は高校二年生で、楽譜を書いた経験もほぼゼロ。大人たちが言うには、締切四ヶ月というのがかなり異例のことらしく、通常、こういった年齢の人間にこういったことをやらせるには、少なくとも一年から二年は必要だそうで、事態の恐ろしさを悟ったときに、自分の中でどっと焦りが見えてきたのを覚えています。
最初は勢いで引き受けたけれども、のちになってことの重さに気が付いた。
エマ:そうです(笑)。
ふつう、オーケストラを書いてくれと言われたら、私なら「すでに大事じゃね?」と思います(笑)。書く実感が湧かなかったのかな。
エマ:書く実感も湧かなかったし、あるいは、依頼してくださった大阪の方も、そんなに大事として捉えていなかったかもしれないですね。軽いパーティーの場で、お酒かなにかを飲みながら「やってくださいよ」みたいな感じだったので。場の雰囲気も相まって。
けれど、結果的に作品を仕上げて、演奏もされたんですよね。
エマ:去年の12月に作品を完全に仕上げ、それから三ヶ月ほどかけて大阪の楽団の方々に練習していただいています。明後日が本番ですが、何度かそのリハーサルに立ち会いました。私の作品が、70人位の演奏者の方々の手で演奏される姿を目にしたときは、本当に驚きました。
現実に、しかも沢山の人々に演奏される音楽は、個人で完結するDTMの音楽とは異なった感動があるのでしょうね。
エマ:DTMで扱うバイオリンの音と、実際に演奏していただくバイオリンの音は、全く違います。音の厚みというか。およそ生楽器は、演奏するひとの個性、人生、そのようなものが、顕著に出る。その楽器たち、色々なひとびとの人生がまざって、私の作品になる。DTMは音圧であったり、様々な表現を気軽にできるのは良い所ですけれど、やはりどこかに冷たい感触があって。「こんなに良い音圧の曲を作れた」だとか「誰も作ったことのないような音源を作れた」といった感動とは完全に別の、ひとの人生を浴びせられるような感動が、私のこころにぐっと刺さりました。
いまリスペクトしたいものは?
エマ:主にふたつあります。ひとつはアイヌ文化——私は北海道に住むアイヌという民族の文化が大好きでして、アイヌ特有の「カムイ」と呼ばれる宗教のような存在をリスペクトしています。「カムイ」とは、雲であろうと、水であろうと、パソコンであろうと、そのひとつひとつに神に似た存在が宿っていて、私たちに多くを施してくれるそれらに、いつも感謝して生きよう、という思想です。もうひとつは、自分の作品を見てくださるひと、様々な評価を与えてくださるひとです。
音楽を制作するにあたって、影響を受けた作曲家とその作品は?
エマ:虻瀬犬さんというアーティストの「ユダ」です。ボカロでも、楽譜を書く際も、私の作品には和の印象やオリエンタルな表現が多く含まれます。この作風に大きな影響を与えたのは、間違いなくこの曲だと思います。中学生時代にボーカロイドと出会い、自ら(ボカロを)作ってみたいと思い至ったのも、虻瀬犬さんがきっかけです。また、虻瀬犬さんの作品は、表題が「ユダ」であることからも分かるように、宗教色が濃厚です。先程紹介した私の「Massiarise」は、新約聖書とキリストを元にした作品ですが、オーケストラの曲を書くにあたり、このようなテーマを選んだのも、恐らく「ユダ」が影響しているのではないかと。
画像引用:ユダ/虻瀬 (Judas/Abuse)
お話を伺っていると、エマさんは宗教に対する関心が強いように思います。私自身、もともとキリスト教徒の家庭であった背景もありますが、宗教には興味を惹かれます。「カムイ」はアニマリズム的な汎神論ですが、キリスト教は完全な一神教で、対をなすものですよね。それらはエマさんにとって全く異なる関心の対象ですか?
エマ:基本的に、キリスト教など様々な宗教の仕組みは、学問として学びを深めていきたいと思っています。ですが、やはり生活に組み込んでいるのは前述したカムイです。
思想を取り入れることとは別の、それぞれの存在に対する敬意がありますよね。
エマ:はい。やはりありますね。
今日(3月13日)を国民の祝日にするなら、何の日にしますか。
エマ:万博記念日ですかね。1970年の今日、大阪万博が開かれたので。オリンピックに並ぶ大きな出来事だと思います。ぜひ祝日にして、当時の映像をテレビで流すなり、いろんなことをしてほしいです。
最近の時勢もあり、万博が回顧される機会もまた増えてきた印象ですが、さすがに記念日にはなりませんからね。
エマ:私の作品のリハーサルに立ち会うため、大阪に足を運ぶ毎に、万博記念公園を訪れているんです。行く度に岡本太郎「太陽の塔」に感動し、そののち博物館で模型に感動し……もっともっと多くのひとに、この感動を分かち合うべきではないかと思って。当時、私は生まれてすらいませんが、記念公園を見るだけで心が熱くなります。これは日本全体の記念日にして然るべきではないか、という私の過激な思想があるのですが(笑)。
愛読書を教えてください。
エマ:考えた結果、消去法で新約聖書になりました。作品をつくる際に何度も読んでいるためです。ただ、新約聖書と答えると色々誤解を生みそうなので、他に幾つか挙げると、孫氏と呉氏だったり、柳田国男だったり、カムイユカラだったり、主に宗教学や思想学、民俗学を読み込んでいます。それとは別に、気分が落ち込んだときや、プレッシャーに押し潰されそうなときに、いつも読む本があって。漫画なんですけれど。
エマ:「岸辺露伴は動かない」と「廣井きくりの深酒日記」。片方は、頭のネジが外れた漫画家が様々な現象に遭遇する、という漫画で、もう片方は、頭のネジが外れたバンドマンが様々な事件に巻き込まれる、という漫画です。この手の、イカれたアーティストを描いている作品。私に勇気をくれるというか。こんなに思い詰めなくて良いんだとか、もっと気楽に生きて良いんだとか、作品をつくっていて本当にやばいときは、読み直しています。
作曲に限らず、なにか作品を作っているときに、開き直ったアーティストの姿を見て勇気が得られることは、とても共感できます。
エマ:本当にそうなんですよ。
入学時に期待していた高校生活の理想は?
エマ:生活ではありませんが、N/S高の多様な生徒がもつ思想や人生、コンテクストに接して、それぞれの価値観を知りたいと思っていました。それとは別に興味深かったのが、様々な講師の方々による授業です。
今挙げていただいた理想と現在のギャップを、小さい順に1-10で表してください。ポジティブな意味でも、ネガティブな意味でも構いません。
エマ:間違いなく10です。「多様な生徒に接する」の多様さのレベルが、想像する10倍も100倍も大きくて。授業に関しても、例えば「投資部*1」や「政治部*2」がよく宣伝されていたので、そういった学問的なものなのかと思っていました。しかしいざ入学してみると、漁業や林業、化粧品、ボカロPによる授業など、自分の見ていたN/S高の世界がどれほど狭かったのかを、今、思い知っています。ネガティブな意味でも、自分の思う以上に多様だったため、N高生関係でちょいと難しい問題やトラブルに巻き込まれたり、命の危うい出来事も体験し……それらを含め、他の学校では絶対にできないような経験をさせていただきました。
命の危うい出来事が気になりますが(笑)、尺が持ちませんので次の質問に移ります。引き続き一年余あるN/S高生活の中でやりたいことはなんですか?
エマ:入学式(令和四年度)にて、SASUKE*1様が(N/S高の各校歌と応援歌をリミックスする)パフォーマンスをされていました。すごく欲張りですが(笑)、私もいつか、ああいったことをやりたいです。SASUKE様はステージ上でDJをされていましたが、私は吹奏楽、または管弦楽でN/S高の応援曲の様なものを作らせていただきたいです。
実現すると良いですね。N/S高は生徒から発する試みに寛容なほうだと思います。
エマ:はい、実現したいです。
楽曲を制作する際の主な使用機材について教えてください。
エマ:パソコン本体を除けば、主にキーボードとマウス、ヘッドホンの三点です。ベース、ギター、ホルン、サックスなど、たまに自分の楽器を録音したり、もしくは、五線譜を使うこともあります。例えば、和音をつくるときには、自分でペンと五線紙を持って作曲します。
パソコンとは入学時に購入するMacBookですか?
エマ:学校用のMacBookと個人で所有するWindowsのふたつを用いています。ノートPCだと容量の大きい音は少し扱いづらい部分もあって、基本的にWindows上で音源制作を行い、カフェやキャンパスなどの出先ではMacBookを使って楽譜を書いています。
エマさんの楽曲を幾つか拝聴しました。こういった作品をつくるには、おおよそどの位の時間が掛かりましたか? 振れ幅がある場合は、最小と最大の例を挙げてください。
エマ:YouTubeやニコニコ動画上のボーカロイド音楽に限れば、最短で三時間、最長で三ヶ月ほど。楽譜ですと、先程申し上げた「Massiarise」の半年間が最長です。先日、それとは別に制作した「ニライカナイ」という作品があり、こちらは三週間でつくりました。
顕著な制作期間の差はどこから生まれるのでしょうか。
エマ:三時間でつくれるときは、パッと思いついた燃焼が消えないうちに、全て書き出してしまいます。楽譜も同じです。ただ、作る途中でアイデアが行き詰まったり——先程見ていただいた通り、明らかにダルいじゃないですか(笑)、あんなに長い楽譜を一個一個マウスで打ち込んでいくのは。アイデアよりも「ダルい」が勝り、マウスを握る手が止まってしまって、制作が伸びることもあります。
アイデアが一度生まれたら、その過程が安産か難産かに関わらず、絶対に作らなければならないという使命感はありますか?
エマ:作ると作らないとに関わらず、絶対に残さなければならないという使命感はあります。アイデアが生まれたら、とりあえずボイスメモに録音したり、メモ帳に線を五本引いてそこに音符を書いたり——とにかくこのアイデアは今後かならず役立つから、残さねばならない。こういった経緯で作られたボイスメモやメモ帳が大量にあるんですね。今になってそれらを見返すと、昔の自分と交換日記をしているような気持ちになり、大変楽しいです。
普段どんな存在からインスピレーションを受けますか?
エマ:アニメやドラマ、映画といった映像作品、およびそれらのサウンドトラック、ボーカロイド作品、ないしは、旅行や自分自身の体験が基本的なインスピレーション源です。
明確なコンセプトのもとに作りますか? それとも、作りながらイメージが補完されますか?
エマ:少なくとも、はじめに明確なコンセプトを設定してから出発します。ただ、作る過程で筆が乗ってしまい、色々な追加要素やオマージュが加わって、完成する頃には原型が跡形もなくなってしまうことが殆どです(笑)。その良い例は「Massiarise」で、もとから新約聖書をテーマにしようとは考えていませんでした。演奏していただくのが「センチュリー・ユース」というオーケストラでして、最初は表題が「Yours」、コンセプトは「学生が楽しむための作品」だったんです。ただ、作業がキツすぎるあまり体調を崩しまして、総合病院に行った折、本棚に新約聖書があり、退屈な待ち時間に読んだ結果、「ああ、これでいこうかな」と思いました。最終的に「学生が楽しむための作品」というコンセプトは新約聖書に押し潰され、「Massiarise」に至ったという。いつもこんな感じです。
創作活動を行う最大のモチベーションは?
エマ:ボーカロイドでは、誰もやったことのない音作り、構成、世界観、そのようなものに挑戦すること。新しいものを作り出すこと。楽譜では、作品内に本当に下らない悪戯を仕込むことがモチベーションでした。
「下らない悪戯」とは具体的にどのようなものですか?
エマ:先日「ニライカナイ」を演奏していただきました。その際、ピアノを弾いてくれたひとがいて、彼に少々おもちゃを取られた経験があるんですね。そこで、曲の音階には、ドレミファソラシド、CDEF、いろはにほへとなど、色々な名前があるのですが、それらを使って、彼が弾く曲に彼の女友達のイニシャルをめっちゃ仕込みました。
エマさんが楽曲を制作する過程は、音、言葉、サムネイルに用いるイラストレーションなど、複数の表現手法を包摂しているように見えます。これらのうち、最初に形を得るのはどれなのでしょうか。
エマ:率直に言ってしまうと、いずれでもありません。一番はじめに降ってくるのは、所謂「風景」や「情景」のようなものです。自分の作品が演奏されている風景や、何らかの物語の主人公がどこかへ向かう風景、もしくは宗教や戦争、民族、そういった(楽曲の中で表現すべき)ひとつひとつの風景が、最初から最後まで、私の頭のなかに、どん、と生まれます。その風景を見聞きした音、言葉、イラストレーション、映像、それらを同時並行で作っています。
個々単体の表現が来るのではなく、先に作品の原風景、イデア的な存在があり、それを描写する媒体としての音、言葉、イラストレーションなどを用いている。順序が逆というか。
エマ:そうですね、逆です。私の場合は、完成したものを、もう一度書き出しているという感じです。
作業が捗るのは、朝ですか? それとも夜?
エマ:朝か夜というより、寝起きです。アイデアに行き詰まったときは、とりあえず一時間位の睡眠を取ると、頭がリフレッシュされて、またアイデアが出るようになるので。
三日、三年、十五年にわけて、野望を解説してください。
エマ:三日後は間違いなくエゴサです。私が一年以上にわたって準備した作品の演奏会ですから。三年後は、ボーカロイド音楽の制作から実質的に卒業して、商業アニメや映画といった映像作品に携わってみたい。また、私の管弦楽作品や吹奏楽作品で、何か大きな賞を受賞したいです。最後に十五年後ですが、音楽に限らず、文章や漫画、映像など、色々な創作文化に手を広げ、多くの方に見ていただけるようになりたいです。……それらとは全く異なりますが、どこか海外に移住したいと思っています。日本を脱出して。
どの国に住みたいかという目星はもうついていますか?
エマ:やっぱりスウェーデンでしょうか。もしくはドイツ。
その理由は?
エマ:まずは欧州に住みたいのですが、特に北欧の辺りが好きです。あるいは、私がアイヌを好きなのと通ずる部分があるかもしれませんが、北欧だからこそある地域のあたたかさ、北欧でしか体験できない美しさがあると思うんです。フィンランドやデンマークでも良いのですが、そういった所の神話や宗教、芸術品、嗜好品はもとから大好きです。家を構えてゆっくり過ごしたい。
N/S高はポップカルチャーと親和性の高い学校です。先程も「ボカロPによる授業」が話題に挙がりましたが、ボーカロイド音楽に興味のある生徒は少なくありません。こういった方々に何かコメントをいただけますか。
エマ:これから創作を始める全ての方に伝えたいこととして、まずは気楽に生きてほしい。また、目先の数字に囚われないでほしいと思います。近年の創作文化、特にボーカロイドに関しては、その世界に参入してくるひとが驚くほど多い。例えば、ボーカロイドコレクション*1の応募件数は何千曲にも達しています。ですから、見てくださる方がなかなか増えなかったり、ニコニコ動画が主催するランキングの表彰圏内に掠りもしないといった状況も、容易に起こり得ると思います。ときには、明らかに自分の作品よりも劣っているように見える作品の方が評価されたり、数百人がグループを組んでお互いの作品を無理やり上に押し上げたり、SNSのサブアカウントを大量に用意して自作自演で作品の評価を高めたり、そのような黒い部分を垣間見て、才能や努力だけではどうにもならないと感じる。もしくは、自分の作品に自信を失ってしまうかもしれません。深く思い詰めないでください。そんなときにこそ気楽になって、アニメ、漫画、映画、小説、旅行——なんでも良いのでこころをリフレッシュし、本当に自分の作りたいものを突き詰めてほしいと思います。少なくとも私は、作りたくもないが多くのひとに評価される、いわば大衆迎合の作品をつくったり、先程申し上げたようなグループやサブアカウントの手法で自分の作品に泊をつける、そういったことは絶対にしてほしくありません。なぜなら、これはただ私自身の感性に過ぎませんが、自分が作りたかった作品に来る批判よりも、自分が作りたくなかった作品に来る称賛のほうが、よほど苦しく、辛いと思うからです。これから何かを始めるN/S高生の皆さんは、精神の安定を最優先に、数字を取れずとも、評価をされずとも、気に病まないでください。そして、今後は創作のバブルが訪れ、現在以上に創作するひとが増えると思います。そんな時機に、自分の人生を反映する作品、自分の感情を100%吐き出すような作品、この頃AIによる作品が勢いを増していますが、そんなものに負けない作品を作ってほしいです。
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