【細田守監督インタビュー】最新作「果てしなきスカーレット」で描いた「生きる意味」とは? 〜N高生が直接取材〜

2025年11月21日、細田守監督の4年ぶりの映画となる「果てしなきスカーレット」が公開された。舞台は中世、父を殺された王女スカーレットが、父の仇を討つため「死者の国」を旅する物語だ。作中にはミュージカル要素も加わっており、現代を生きる日本人の青年が登場するなど、時代や環境など異なる世界観が入り混じった作品である。
今回、映画「果てしなきスカーレット」ジャパンプレミアの開催にあたり、N高グループ新聞から3人のメンバーが細田監督に直接取材する機会を得た。現代を生きる中高生が、細田監督に自分の創作活動や生き方について質問をぶつけた。
筆者自身も読者の多くと同じく細田作品のファンであり、いちファンとしての興奮や緊張もあったが、細田監督が考える作品のテーマとの向き合い方や、自分の「好き」を追いかける姿、古典を現代へと繋げる努力を知ることができた。ぜひ皆さんもこの記事を通して、中高生がぶつける質問への細田監督の考え方、新作「果てしなきスカーレット」への監督自身の想いなどを知ってほしい。

【プロフィール】
細田 守(ほそだ・まもる)アニメーション監督
「時をかける少女」(06)、「サマーウォーズ」(09)「おおかみこどもの雨と雪」(12)、「バケモノの子」(15)などを発表している。「未来のミライ」(18)は第91回米国アカデミー賞長編アニメーション作品賞に、「竜とそばかすの姫」(21)は第74回カンヌ国際映画祭カンヌ・プルミエール部門にノミネート・選出された。最新作「果てしなきスカーレット」は、監督・脚本・原作を自身で手がけ、第82回ヴェネチア国際映画祭アウト・オブ・コンペティション部門で公式上映が行われた。

中高生3人が細田監督にインタビュー
2025年11月某日、メディア広報委員の3人は細田監督に取材した。「憧れの人」である細田監督を前に少し緊張もあったが、筆者の中では圧倒的に好奇心と感動が勝っていただろう。
取材では角川のライターの方も同行し、3人が順番に質問をした。
監督の人生を変えた映画(あつひめ)
ーー監督は小学生の頃に見たアニメに衝撃を受けて、 アニメの世界を志して、それからまっすぐに進んでこられたと伺っていますが、私自身も、小学生の頃に大河ドラマを見て、歴史がとても好きになって、 将来は歴史に関わる仕事に就きたいと思っています。
これまでに、ふとこれでいいのかとか、ほんとに好きなんだろうかっていう、その迷いが生まれたことがあったんですけれども、監督はこれまで迷いとか、立ち止まることはあったんでしょうか。
今振り返ってみるとあまりなかったような気がしますが、その時々では迷ってたかもしれないです。
でも、振り返るとそういう迷いって、そこまで大したことなかったと思うのですが、迷っている時は、どうしよう、って思いますよね。
僕が一番迷ってたのは、大学卒業して、東映動画というところに入って1、2年ぐらいでもうやめようかなと思っていた時期ですね。
この場所でこの先、希望があるのかなとか思っていたので、その時は僕も迷っていましたね。
でも、東映を辞めるのを踏みとどまったきっかけである映画「美女と野獣」に出会ったんです。
東映に入ったのが1991年で、1992 年に「美女と野獣」が公開されました。
映画そのものは1991年にアメリカで公開されて、日本では1992年の公開でした。
それを観て、こんなに面白いというか、こんなにいい映画がアニメでできるんだったら、もうちょっと頑張ろうと、思わせてくれたというのがあって。
「美女と野獣」を観ていなかったら、辞めてしまっていたかもしれません。

僕の場合は作品ですが、誰か人に出会うとか、何かいいアドバイスをもらうとかでもいいですし、それによって何か大きく影響されるってことがあると思うんです。
あつひめさんの場合は歴史が好きということなので、大学に行って、もっと歴史の勉強ができるような 方向に行きたいなと思ってるわけですよね。とても素敵だと思いますよ。
そこでさらに、出会いもあるでしょうから。
僕はアニメーションに進みましたが、アニメしか観ないというわけではないですし別の視点からアニメについて考えることもあります。
実は、どの可能性も結構あって、必ずしも1個しか道がないわけではないと思うので、じっくり何がやりたいかとか、どういうふうに進めばいいかということを選んでいけばいいのではないでしょうか。
「戦争」や「虐待」〜作品制作におけるテーマとの向き合い方、テーマを描く「適期」について(愛禾)
ーー私は小説執筆が大好きなんですが、戦争や虐待など社会的に重く見られるテーマを扱う時に、全て想像で作っていくことが残酷に思えてしまう時があるんです。創作物としてとても興味深いものではあるんですが、実際に起きているのに、それをフィクションで扱う意味や自分が描く意味を、職業的な作家がどのように捉えているのだろうとずっと気になっていました。
細田監督はどのように考えているのかお聞きしたいです。
これはおっしゃる通り、若い時だとあまり大きなテーマを扱えなかったのかもしれないと思うんですよ。でも、ちょうどいい年齢になったり、いろんな経験をしてきたり、作品制作の経験を重ねていくことによって、生死を扱うことができるようになってきたと思います。
それに、実は今回いきなり生死観の話を始めたんじゃなくて、「バケモノの子」にもそういうニュアンスを入れたつもりではあるんです。「未来のミライ」も命の循環をテーマにしました。世間ではそうは思われていないみたいですが。
そんなふうに、実は大きめのテーマを少しずつ取り入れてきてはいたんです。人生経験が積み上がってくるにつれ、少しずつできるようになるような気がします。
でも、じゃあ若い人は経験がないからあまり大きなテーマは扱えないのかというと、そういうことはないと思いますよ。家族と話したり、僕みたいな大人と話したりして、間接的に経験することはできるので。
例えば、フランソワーズ・サガンが「悲しみよこんにちは」を書いたのは19歳の時なんです。あれはちゃんと生死の話で、深い物語を書くことを年齢が邪魔していない。そういう事例があるから、経験とか年齢に臆することなく書けばいいんじゃないかなと思うし、比較的N高の人はいい意味で年齢相応のものを求められないことがあると思うので、扱いたいテーマはやっちゃえばいいと思います。

ーーありがとうございます。監督が、アニメーター、監督として様々なヒット作を生み出す経験をされてもなお、まだ扱っていない、扱いたいけれども自分ではまだ描ききれないのではないかと思うテーマはありますか?
いっぱいありますよ、もちろん。
世界というのは、一人の人間が描くには広すぎるんです。本当に色々な形の、面白いものがたくさんあると思う。でも、アニメって、皆似たようなことばかりやっているじゃない。それって、せっかく作っているのにもったいないと思うわけ。
だから、せっかく作るんだったら、今までアニメが描いてこなかったことをやりたいと思うんですよ。今回の作品も、シェイクスピアの「ハムレット」をベースにしているんだけど、自分でもシェイクスピア作品を扱う人生の段階にきたのかと感慨深く思うんだよね。世界中の誰もが知っている古典を扱うというのはやっぱり勇気がいるものではあったんだけど、でもやはりいつかはやらなくてはいけない、やりたいとは思ってましたね。
そういう風に、自分の中でシェイクスピアを扱おうと思える時期が来るまで待っていたところがあるかもしれない。僕がハムレットを読んだのは大学生くらいの時で、それからこの映画を作るまで40年くらい経っているわけですよ。だから、やはりそれくらい時間は要するけれど、今読んだり、吸収したりしているものをずっと長い間寝かせておくこともあるかもしれないし。
人生経験が少ないからといって、大きなテーマを扱っていけないわけではないし、むしろその時しか描けないこともある。一方、今回の映画みたいに、少し待つテーマもある。それぞれだと思いますね。

なぜ今「ハムレット」なのか? 現代において復讐をテーマにする意味とは(瑠璃)
ーー「ハムレット」をベースされたということですが、現代に復讐劇を描くことにはどんな意味があるとお考えですか?
古典作品をベースにして作品がつくられるというのはよくあるけど、実は「ハムレット」だってオリジナルじゃないんですよね。「ハムレット」のベースになっているのは北欧神話に登場する「アムレース」で、そこから作品をつくった何人ものひとりがシェイクスピアなんです。つまり、過去の物語をその時代にどう描くか、ということは昔からされていて。そういう意味では、僕が「ハムレット」から「果てしなきスカーレット」をつくったのと同じなわけです。
文学作品や映画に限らず、実は絵画にもそういうところがあって。同じようなモチーフを何人もが繰り返し描く中で、その作家によって新しいものが付け加えられたりとか、その時代にあった美意識で描かれるとかね。そうすると文脈、コンテクストっていうものができてくるわけです。その作品単体じゃなく、「アムレース」ならこういう描き方、「ハムレット」ならこういう描き方、みたいな。時代の変遷とともに作品がどう変わっていくかという文脈が見えてくると、よりおもしろいんです。

歴史は繰り返すと言うけど、人間のやることもやっぱり繰り返されているので、時代によってどう繰り返されて、どう変化して、どう変化しないのかというのがおもしろいんですよ。そういう視点で復讐というものを考えると、現代だって戦争があって、そこで報復の連鎖が起きている。復讐して、それに復讐して、またそれに復讐して、それがいつまで経っても終わらないというね。そういう連鎖をどうしたら止められるかをみんな考えてるけど、それでも戦争は続いてしまう。だから、実は復讐というのは今日的なテーマなんです。
そうやって、復讐をなかなか終わらせられないのが人間だけど、同時にそのせいで悲しい目にあっている人は昔からたくさんいるわけですよね。復讐の連鎖を終わらせたい、争いのない世界で生きたいと思っている人はたくさんいる。僕らもそう、世の中に争いはなるべくない方がいいじゃないですか。そのためにどうすればいいかということを、昔の人も考えたし、そう簡単に解決しないから未来の人も考える。でも、やっぱりどこかで終わらせなくてはいけないという気持ちが大事だということで、今回の「果てしなきスカーレット」は復讐がテーマなんです。

ーーありがとうございます。古典作品をベースにする上で「現代らしさ」というものをどう意識されましたか?
聖という現代日本の看護師さんを、主人公スカーレットのパートナーにしたんです。この2人がまったく真逆なわけです。現実主義で、復讐、つまり人を殺そうとしているスカーレットと、理想主義で人を治す、助けるのが仕事の看護師である聖。そんな真逆の2人が一緒にいるとどうなるのかを考えたんです。
現実主義と理想主義というのは相対していて、どちらか片方だけではうまくいかない。そんな2人が一緒にいることでどう変化していくかを描いたところが現代らしさかな。聖の立ち位置は「ハムレット」のオフィーリアとは違うようになっているから、そこも映画の中で読み解いてくれたらいいなと思っています。
新作「果てしなきスカーレット」を見て3人が考えたこと
劇中のダイナミックな絵の動き、登場人物の表情の迫力、主人公・スカーレットの純粋無垢な人物表現などから、次第にストーリーに没入し、気づくと彼女の”復讐”を応援していました。
”復讐”に決着をつけた彼女のどこか清々しくさえ感じられる表情が忘れられません。
戦闘の場面や、自身の負った心の傷に苦しむ彼女の姿には心が締め付けられましたが、「生きたい」と叫ぶ彼女の目は冒頭の復讐に駆られた目とは全く異なるものでした。違う世界を生きていた聖との出会いが彼女を変えていく様に、人と出会うことの素晴らしさを感じました。
また、生きている時代が違えば自分の人生も違うものだったのかもしれないとスカーレットが涙を流すシーンを観て、現実世界にも彼女のようなことを思う子どもたちがいるのではないかと胸の詰まる思いでした。
私にとって、平和の尊さや人との出会いについて改めて考える機会をもらった映画でした。(あつひめ)
幼少期に読んだ「ハムレット」は、他人を忌み嫌い殺していく物語で、私にトラウマ的衝撃を与えた。今作はそんな作品が題材になっていると知り、内容の想像ができなかったが、実際に見てみるとそれは「ハムレット」とは全く違う、でも確かに題材の重要性を感じる作品だった。
生死や愛を題材とした作品の多くは、愛や平和が理想論として、戦争や殺し合いが起こる現代では不可能なものとして語られていることが多い。しかし今作には、希望を抱くことを自分に許さない主人公と理想論を追求するパートナーが登場する。希望も理想も無くなった「死者の国」を舞台に、希望や理想を抱くことがどんなに大事なのか、そしてそれを失くした人間はどのように腐敗していくのかを教えてくれる作品だった。「ハムレット」を改めて読んだ上で、もう一度この映画を観たら、何倍もの衝撃が得られるのではないかと可能性を感じた。(愛禾)
「果てしなきスカーレット」の舞台は死後の世界である『死者の国』だが、人々は生きているかのように懸命に暮らし、争い、死んでいく。自分の生死すら不確かに思える世界で、それでも必死に生きている。
また、死後の世界が舞台ではあるが、本当に生きている者も登場する。生者は生者の世界で、生者にしか果たせないことを決意し、やり遂げようと行動する。
自分がいつ死ぬか、死んだらどうなるのかはわからないが、生きているからこそできることがあるのは確かだ。生きている限り、やり遂げたいことや果たしたいことはいくらでもある。死んだ後のことはわからないからこそ、生きていられる今を必死に生きたい。
生きていることの価値を、改めて教えてくれる映画だった。(瑠璃)
終わりに
取材後、筆者ら3人は試写会に参加し、「果てしなきスカーレット」本編を見た。
それに対する思いは先述の感想にもある通りだが、一つの記事にはとても収まらないほどの感動があった。
今回の映画はシェイクスピアの名作「ハムレット」が題材になっている。登場人物名や大まかなあらすじなど、確かに「ハムレット」を感じられる要素は多い。
しかし、その細かな描写や作品が持つメッセージは、「ハムレット」を大きく更新し、そして現代社会を生きる世界中の人々へ届くべきものになっているように感じた。
細田監督に取材させていただく中で学んだ、テーマに対する向き合い方や、世界的名作であり誰もが知る「ハムレット」を題材として扱った思惑が、一つの作品として終結しているようだった。
「ハムレット」は幼少期に読んだことがあるが、内容をはっきりと覚えているほど身近な作品ではない。今作「果てしなきスカーレット」を、「ハムレット」を作品として理解した上で観たらどんなに理解が深まるだろうかと、事前に読んでこなかったことを後悔した。
観ることで、自分のこれまでの経験や触れてきた作品を思い出す。そしてもっと世界を知り、生きたくなる。そんな映画だった。
ぜひ、皆さんも映画館でこの映画を観てほしい。そして、この記事を読むことで監督の思いや作品が生まれた経緯を知り、さらに深い感動にのまれてほしいと思う。


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