戦後80年、過去と現在を考えるー80年前の人々に心を寄せてー

2025年8月、終戦から80年を迎えた。
今現在も世界では戦争や紛争が止まない中で、これからを担う若い世代の1人である筆者は、取材を通して戦争について学びたいと思った。
戦時中を生き抜いた駆逐艦「雪風」をテーマにした映画『雪風 YUKIKAZE』の脚本を務められた脚本家の長谷川康夫さん、戦争の記憶の継承を行う「帰還者たちの記憶ミュージアム」の熊倉弘之さんにお話を伺った。
(クレジット)
取材・写真・文=あつひめ(S高4期・通学コース)
駆逐艦「雪風」とは
太平洋戦争中に実在した駆逐艦「雪風」。
誰もが知る駆逐艦「大和」や「武蔵」といった戦艦に比べ、遥かに小型で軽量、高速で小回りが効く。
兵員や物資の輸送、上陸支援、沈没艦船の乗員救助など、海の何でも屋として数々の戦場で活躍した。
なかでも「雪風」は、敵弾をかいくぐりながらその任務を果たし、必ず生き抜いた。
そして決まって戦場に留まると、沈没する僚艦から海に投げ出された仲間たちを救い、共に帰還させた。
戦後は「復員輸送船」としての航海を続け、外地に取り残された人々、約13,000名を日本に送り返した。
(映画「雪風 YUKIKAZE」HP引用)
終戦記念日である8月15日に公開された映画『雪風 YUKIKAZE』の脚本を務められた脚本家・長谷川康夫さんに、
この映画にかける思いなどについて伺った。
話を聞かせてくださった方
映画『雪風 YUKIKAZE』脚本/脚本家
長谷川康夫(はせがわ やすお)さん
ーー映画の題材を「雪風」にした経緯について教えてください。
「きっかけは、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻でした。
プロデューサーの小滝祥平と、次の作品を考え始めていた頃です。
小滝とはこれまで30作以上映画を共にしていて、「戦争」や「国防」に関わるものもいくつかありますが、飛び込んで来る様々な報道の中で、今だからこそ、我々に出来ることが何かあるのではないかということになったんです。
かつての湾岸戦争やイラク戦争のときは、どこか遠い世界の出来事に思えていたものが、今回は空爆やミサイルが市民を襲い、幼い命までが数多く奪われている事実がリアルに伝わってきて、そのことが大きかったですね。
そんな話が続くうち、『聨合艦隊司令長官 山本五十六』(2011)の折に原作者の半藤一利さんご本人や著書から学んだ、太平洋戦争時の東京空襲へと繋がり、そこから小滝が持ち出したのが駆逐艦「雪風」でした。
決して沈むことなく、戦いながら仲間を救い続けた、ある意味“奇跡の”存在。
これも半藤さんから遺さなければならないと、教えられていた史実です。
この「雪風」の姿を描くことで、今の世界の状況に対して伝えられるものがあるかも知れない。
小滝と話すうち、そう思わせる何かが生まれてきました。
ひとつも具体的ではないのですが、ここから『雪風 YUKIKAZE』という映画が始まることになった……今になってみるとそうとしか言いようがありません。
そしてまず、徹底した資料調べが始まったわけです。」
ーー幸運艦を描く中で難しかったことを教えてください。
「「雪風」はなぜ、決して沈まない“幸運艦”であり続けたのか……。
脚本を書く上で、それを見つけようとはしました。
艦長の卓越した操艦技術や統率力であるとか、それに応える乗員たちの鍛え上げられた仕事の練度であるとか、
「雪風」の“艦風”とも言える全乗員の家族的な関係の中での信頼感であるとか……。
さらに厳しい戦いの中で、何よりも仲間たちの命を救い、自分たちと共に生きて帰ることへの皆の執念であるとか……。
ただ、直撃するはずの魚雷が艦底の下を通過したり、命中したロケット弾が不発弾だったり、人間の力が及ばない“運”があったことも事実なんです。
結局、答えは「雪風」という姿を淡々と描くことで、観客の皆さんに委ねることにしました。
2時間、観ていただいた上で、「なるほど」とそれぞれがうなずけるものを見つけてもらえればいいのではないかと。無責任な脚本家ですね(笑)。
でも映画というのは、何か作り手の想いを観客に押し付けるものではないと、僕は思っていますから。」
ーー主人公を架空の人物にした理由を教えてください。
「日本海軍の艦長の異動は激しく、「雪風」の歴代艦長は全部で10人います。
映画で描かれた期間だけでも6人になります。
現実にそれを物語の中に入れると、着任や退艦などが頻繁となり、ストーリーとしてまとまりません。
また艦長のキャラクターもそれぞれ違うわけで、物語への関わりも散漫になってしまいます。
さらに今回は脚本の初期段階、キャスティングが決定する前から、主人公となるべく、艦長として竹野内豊さんをイメージしていましたので、竹野内さん個人が醸し出す人間性のようなものも、「雪風」艦長の姿に落とし込む必要がありました。
そこで「寺澤一利」という人物を創造したわけですが、そのために物語としての一貫性が生まれ、これに関しては成功したと思っています。」
ーーご自身が作品を通じて意識したことなどについて教えてください。
「先ほどの幸運艦の話にも通じるのですが。「雪風」は結局、“生かされた”だったのではないでしょうか。
日本の無謀な戦争が敗戦へと向かっていく道のりを、その当事者として見つめ続け、戦争が終わった後も外地から人を運び、そこから日本を離れて20年働き続けて、復興した日本の姿を見届けるかのように「雪風」は異国の海に消えていきました。後始末をずっと続け、ようやくそれを終えたのだと思います。つまりその役目を果たすために選ばれたのが「雪風」だった……そんな気がしてなりません。
だからこそ、その存在を多くの方に知ってもらいたかった。ただひと言、それに尽きると思います。」
ーー今の高校生や若い世代に考えてほしいことはありますか。
「あんな戦争の時代があった……そのことだけは、決して忘れないでほしいですね。
我々もそうでしたが、歴史の授業でも、そこまで行く前に学年が終わってしまうことが多いんです。
かつて日本が戦争への道を歩み、普通に生きていた多くの人々が命を奪われ、家族や仲間や恋人のために、自らの未来を閉ざさねばならなかった無数の若者たちがいた……その事実の上に今の日本がある。
世界が現在、こんな危うい状況だからこそ、どんな形でもそこをもう一度、振り返るような時間を持ってほしいですね。今は書物だけでなくネットなどという便利なものもありますから。
多くの情報が容易く手に入るはずです。
ただし情報が多いからこそ、決してムードに乗せられるのではなく、自分の中で事実というものをしっかり判断する。そんな冷静さは持っていてほしいです。どこか自分さえも疑ってみることも必要かもしれません。
何だか偉そうなジジイの戯言と、聞き逃してくださっても結構です(笑)。
ただ皆さんの世代から、次の世代へとしっかり伝えていかなければならないものがあると、ジジイは勝手に思っていますから(笑)。」
ーーこの作品にかける思いをお聞きしたいです。
「ご質問の答えになるかどうか怪しいのですが、僕は脚本を渡して終わりではなく、すべての撮影や編集にも参加します。
その現場でも俳優さんとの話し合いや、撮影の段取りによって、ホンを直したりしますので。だから俳優さんやスタッフたちとも、どこかチームの一員のような気持ちを持っています。
今回、映画が完成してそれを観る中で、しみじみ感じたのが「ああ、この作品、このチームに参加できてよかったなぁ」ということでした。
役の大小には関係なく、百人近い俳優さんたちそれぞれが実に印象的な演技をみせてくれましたし、ワンシーン、ワンカットから、各パートのスタッフひとりひとりの意気込みがしっかり伝わってきました。
長く続けてきた映画脚本という仕事の、どこか集大成というか総決算という気持ちで臨んだ作品でしたので、監督はじめスタッフ、そして俳優さんたちに心から感謝したいと思っています。
いやはや、やっぱり答えになってないかもしれませんね(笑)。」
筆者も映画を鑑賞させていただきました。
日常生活がいかに尊いものなのかと改めて感じ、これからを担う若い世代の1人として戦争について更に学びを深めたいと思いました。
映画『雪風 YUKIKAZE』は全国公開中です。
駆逐艦「雪風」は戦後「復員輸送船」としても活躍しました。
戦後強制抑留者や海外からの引揚者など戦争の帰還者に焦点をあて、戦争の記憶の継承を行う「帰還者たちの記憶ミュージアム」が東京・新宿区にあります。
こちらでは、『戦後80年 関連施設をめぐるパネル展』が2025年7月1〜13日の期間で開催されていました。
実際に筆者も訪れ、パネル展についてや、若い世代に大切にしてほしいことなどについて、広報担当の熊倉弘之さんに伺いました。
帰還者たちの記憶ミュージアムとは
「帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館)」は、さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦(以下、「関係者の労苦」)について、国民のみなさまにより一層理解を深めていただくため、関係者の労苦を物語る様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどを戦争体験のない世代にもわかりやすく展示しています。
また、資料を有効活用し、効果的な方法で幅広く労苦を語り継ぐため、全国で展示会などの館外活動を展開しています。
(帰還者たちの記憶ミュージアムHP引用)
話を聞かせてくださった方
帰還者たちの記憶ミュージアム 推進マネージャー・広報担当
熊倉弘之(くまくら ひろゆき)さん
ーー今回の展示に至るまでの経緯を教えてください。
「全国関連施設ネットワーク会議という名前で、全国にある戦争・平和関連施設の会議体を作りましょうということで、2023年に当館から施設の方々にお声がけをして、「一緒に課題解決や戦争の記憶を風化せずにどう次の世代の人たちに継承していくか」ということをみんなで話し合って協力して進めていこうということになりました。
2023年にこの会議体を立ち上げた時に、一つの目標として2年後の2025年、戦後80年という年に向けてなにか形になるものをしましょうとなって、今回の『関連施設をめぐるパネル展』が開催されました。
戦後80年である今年に、このようなパネル展を開くことによって、「こんな施設があったんだ」と知ってもらって関心を持っていただけたら嬉しいです。」
ーー全国関連施設ネットワーク会議について教えてください。
「色々と連携して協力し合ったり、課題解決に向けて話し合ったりしましょうという会議体です。
全国に参加施設がありますのでオンラインなどを活用しながら、これからも活動を継続していく予定です。
現在参加している施設は、当館と交流展や連携展を通して交流をした施設です。
これらの施設の方々とのご縁を継続するために、当館が各施設にネットワークのような横断的な組織を作りませんかとお声がけして発足しました。
今後もそのご縁を広げていければと思っています。」
ーーパネル展を通して、私自身も各地域にある沢山の戦争施設の存在を知ることができました。
「そうなんですよね。なかなか知る機会がないと思います。
それぞれの地域に戦争に関する出来事というのが色んな形で、あります。
地域で起きた戦争に関する出来事をしっかりと後世に継承しようという想いで全国各地に施設ができているので、今回のパネル展に参加している施設だけでなく、そういう施設は沢山あります。
今回扱うのは本当に一部ですが、パネル展を通してこの地域でこういうことがあったんだと知る、一つのきっかけになってくれればいいなと思います。」
ーー展示を行うにあたって意識されたことや、展示を通して感じたことを教えてください。
「戦争や平和に関する施設が全国各地にあるということを知ってもらいたいと思っています。
戦争では、色々なことが起こります。
皆さんが一番最初に頭に浮かぶのは、もしかしたら広島・長崎の原爆投下のことかもしれませんが、それ以外にも空襲であったり、シベリア抑留者がいるということ、海外にいて敗戦の混乱の中で苦労をされた方々がいるということ、戦争にまつわる色々な出来事があるんです。
戦争は一つの出来事だけではありませんので、普段皆さんがなかなか聞くことの無いような出来事について知ってもらいたいなという想いを念頭に置きながら、展示会の準備をしました。」
ーーこのパネル展を通して、感じてほしいことや伝えたいことは何ですか。
「戦争に関する色々な出来事、歴史を知っていただいて、戦争のこととか平和のことについて改めて考えていただければと思います。
当館は展示施設ですので、展示している資料を通して戦争の記憶を継承したいという思いがあります。
戦争や平和のことについて改めて考えてもらった上で、80年前にこんなことがあったんだという記憶を繋ぎ止めていってもらえればと思います。」
ーーこれからを生きる若い世代に、大切にしてほしいことはありますか。
「若い人たちに戦争でこういう経験をした人たちがいるということを、まずは知っていただきたいです。
学校だけではなかなか広島や長崎、沖縄のこと以外はあまり知る機会がないかもしれません。
もちろんその歴史も決して忘れてはいけないことですが、それ以外の戦争の歴史というのがたくさんあるんですね。
戦争の歴史は一つではなくて、本当に沢山の悲しいことが起こったのです。
戦争に関する様々な出来事を一つでも多く若い人たちには知ってもらって、こんなことがあったんだと頭の片隅に入れておいてもらえたらと思います。」
ーー若い世代は、具体的にどのようなことを行動に移していけば良いのでしょうか。
「とにかく、少しでも関心を持ってもらえればと思いますね。
ですが、子供の頃に戦争関連施設に行った時に悲しい気持ちになったことから、正直触れたくない、できることなら避けたいという人もいると思います。
そういう気持ちも一つ当然だなと思います。一方で歴史として戦争が起きたという事実はあるので、事実として歴史として、戦争を知っていてもらいたいと思います。
でも、見るのに勇気がいるような写真や映像、本などを見てくださいとは言いません。
戦争について知る・触れる方法というのは他にもあると思いますので、負担のない範囲で戦争の歴史をぜひ知っておいていただきたいです。
新聞やニュースで世界の紛争などの報道が絶えない中で、私たちからすると遠いように感じることがありますが、実はとても身近なことですよね。
とは言っても、いますぐに私たちができることって何かと言われると難しいです。
いま私たちができることは過去の歴史から学ぶということだと思います。
80年前の戦争によってどういうことが起きたのか、ということはそれぞれのやり方で知ることができると思います。
それを知ると、だったらこの先私たちは戦争に対してこういう風に考えていかなきゃいけないとか、こういう想いでいたいとか、なんとなくでも浮かんでくるのではないかと思います。
それは押し付け合うことではくて、10人が10人それぞれ違う考え方で接していけばいいと思いますし、その一つの材料として歴史を学ぶ、過去を学んでいくといいのかなと思います。
例えば、約500年以上前の戦国時代も80年前の戦争と同じ歴史ではありますよね。
ですが戦争が起こったのは80年前と言われるとそんなに遠いように感じないと思います。
戦争で大変な思いをした人たちが頑張って戦後の日本を復興させ、今の日本を作ってくれたことで、今の私たちの暮らしがあるわけですから、そこまで遠い歴史ではないんですね。
それと同時に戦争を経験した方がまだご存命であったりと、まだ記憶が現実味を持って繋がっているということも大きいと思います。
意外と私たちの暮らしと直結しているわけなので、80年前の歴史を私たちが知って、何かを学びとり、この先の平和のことについて想いを巡らせていければいいのではないかと思います。」
「帰還者たちの記憶ミュージアム」では、7月15日から10月13日の期間で『苦難の道程 朝鮮引揚げの記憶と記録』という企画展が行われています。
また、9月21日14時から毎月第3日曜日に開催している『語り部お話し会』があります。
今回は引き揚げ体験者の方の方が自身の体験について語られます。
参加費は無料です。
終わりに
戦争というテーマを扱うのは非常に難しく、高校生が戦争について文章を書くということに不安を抱きつつ執筆を進めていました。
ですが、様々な形で戦争の記憶の継承に携わっている方々に話をうかがい、筆者自身も次世代の人々に戦争の記憶を繋げていく一端を担えれば、と思うようになりました。
改めて、お忙しい中取材をお受けくださった、映画「雪風 YUKIKAZE」脚本家の長谷川康夫さん、「帰還者たちの記憶ミュージアム」広報担当の熊倉弘之さんに御礼申し上げます。
取材を通して、これまでよりも尚、80年前の人々に心を寄せたいと思いました。


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