平時を楽しみ有事に備える 〜林さんに学ぶ一歩の勇気〜

「平時を楽しみ有事に備える」という考えのもと、地域社会と連携しながら防災・減災の意識向上に努める、「日本笑顔プロジェクト」代表の林映寿様に活動のきっかけや、活動の考え方をお伺いしました。
日本笑顔プロジェクトとは?
2011年の東日本大震災をきっかけに設立された一般財団法人で、防災・減災、被災地の復旧・復興支援などをしています。災害支援活動や、防災啓発施設「nuovo(ノーボ)」の運営を中心に活動を行っています。また、重機操作やチェーンソーの取り扱いなど、災害時に必要な技能を習得するための講習会を開催し、災害支援人材の育成にも力を入れています。
お話をしてくれた方

林映寿様
長野県小布施町の真言宗豊山派・浄光寺の副住職を務めている。
筆遊び教室の主宰、災害支援活動や防災啓発活動を通して、地域への貢献をしている。また、アーバンスポーツの「スラックライン(※1)」の普及活動や、全国大会のやワールドカップの開催にも力を入れて取り組みを行っている。
※1 二点間に張られたベルト状のラインの上でバランスを取り、歩いたりジャンプしたりする新感覚のアーバンスポーツ
「笑顔」から始まった、ほんとうの支援のかたち。──日本笑顔プロジェクトの原点
ーー本日はよろしくお願いします。まず初めに、日本笑顔プロジェクトを立ち上げられた背景や、林様がこれまで行った活動について教えてください。
日本笑顔プロジェクトを作ったのは、2011年の東日本大震災がきっかけです。
当時は、ボランティアの経験が全く無かったです。
当初は被災地に行って 、何かできるということは全く考えていなかったです。
僕は寺子屋活動をしている中で、筆遊びという、筆を持って楽しく字を書こうという教室をやっていたので、笑顔という字を書いて、自分の思いを筆に託しました。
止めや払いなど関係なく笑顔という字を書いて、とりあえず復興の一歩 としてみんなが悲しんだ後、笑顔になっていくことがすごく重要なことなんです。いつの日かその笑顔が東北に繋がればいいなと思いました。

(筆遊びをする林さん)
その「笑顔」という僕が筆で書いたものをSNSに出して、「みんなで笑顔になろうよ」「この字はもうフリー素材として提供するので皆さんどうぞご自由に拡散してください。」と言って配布しました。数日経ったら思った以上にバズっていたんです。とある商店街では、それを印刷してお店の窓にみんなが貼ってくれて、商店街中がこの笑顔の字で埋め尽くされていました。僕は何もできないけれど、この字を皆さんに見てもらって、「笑顔って、今までは当たり前だったんだな」と実感しました。3月11日以前までは、別にこの豊かな日本で笑顔になるというのは大して重要なキーワードでもなかったです。普通だったことが一夜にして普通じゃなくなったんだなと改めて痛感しました。

(SNSで配布した画像)
その後、SNSで みんな「この笑顔のプロジェクトいいじゃん、みんなで盛り上げよう!」みたいになったんです。当時は特にそんなプロジェクトとかやるつもりもなかったです。ただその時に気づいたんです。みんな何かをしたいと思ってたんだけど、何もできなかったんだなと。募金はしたんだけど そのお金がどういう風にこう被災地に届くかも分からないし、それが間接的であって、自分が当事者になるわけでもないんですよ。
ただ、その後に僕の知り合いとその被災地に行くことになりました。
避難所に行った時に、お家も流されて家族ともまだ会えなくて、勉強道具やおもちゃとか全て流されてしまった子供たちがいたんです。でも子供たちだから避難所であっても遊びたくなってしまうんです。その話を聞いた時に、子供たちは遊ぶこともできず、好きな食べ物をもらうこともできず、お菓子を食べることもできず、勉強道具もないなと気づきました。
おもちゃや文房具は沢山届いているが、仕分けするリソースがないので、緊急支援物資の優先順位が高く、緊急支援物資は仕分けする仕組みができていないから、緊急物資しか配布されないそうです。じゃあどうすればいいのかなと思い、聞いてみました。そうしたら、「直接手渡しすれば子供たちには伝わると思います。」と言われ現地に行くことにしました。
そしたら僕が子供たちに手渡しをしたいと言っていたこともあり、学校を紹介していただきました。
その教頭先生にこの名刺を出した時に、「林さんはこういう字を、ご自身で書かれているんですか?」と聞かれました 。寺子屋の教室でやっているという話をしたら、「子供たちへの学習支援としてこういう教室をやっていることを授業としてやってもらえませんか?」と言われたんです。
それならばと思い、物資の支援も含めて学習支援を行うことを決めました。そして、毎月のように、宮城県の女川町へ通い、仲間を集めて、学習支援を行いました。他にも泥の掻き出しや、泥だらけになってしまった写真をきれいにするために写真洗浄を行いました。そうしたさまざまな活動を2年間にわたり続けさせていただいたのが、東日本での取り組みでした。

(お渡しした名刺)
そして、2019年に、自分の住んでいる場所が被災地になりました。
僕の住んでいる長野県の大きな川が決壊して、まるで足元をすくわれたような感覚でした。災害が発生し、これまで東北支援に携わってきたことを振り返りながら、「これは自分も本格的に動かねばならない」と強く感じました。今まではソフトな支援が中心でしたが、重機を活用したり機械を導入する必要性を感じました。こうして、前回の講演(※)でお話ししたテーマ(ライフアミューズメントパークnuovo)へとつながっていったわけです。
活動の名前が “笑顔プロジェクト”であるからには、物資を届けることや支援活動を行うことはもちろん大切ですが、一番大事なのは“笑顔を届けること”でした。もし、笑顔を届けようとしている私たち自身が笑顔でなかったら、それは本末転倒だと思います。
そんな中で「林さんの話を聞いて、東北の支援をしたいと思ったのですが、私も一緒に行ってもいいですか?」というように、共感した人たちが次々と増えていきました。
※プロジェクトNβという授業で行われた講演の内容
防災を「自分ごと」にするための仕組みづくりや、”平時を楽しみ、有事に備える”という発想から生まれた、地域に根ざした防災・教育・まちづくりの取り組みについてお話いただきました。
悔しさをバネに、3秒がくれた自信
ーースラックラインがどのような経緯で始まり、お寺で始められた理由は何だったのか、またその魅力についてもお聞きしたいです。
夏場、斑尾高原スキー場というスキー場に、ジップラインをしに行きました。
ジップラインで遊び終わったあと、花壇の前に紐のようなものが張られていて、「あれ? これ、入っちゃいけない場所なのかな?」と思ったんです。でも近づいて見てみたら、そうじゃないみたいで、小さな看板に、外国人の子どもがその紐の上に乗っている写真が載っていました。「こんなビヨンビヨンしたところに乗れるの?」とみんなで試してみたのですが、全然できなくて「これ難しいね、どうやって遊ぶの?」と話していました。
そしたら、仲間の中で唯一、ちょっとだけ乗れた人がいて、「できた!」って。といっても、ほんの少しだけだったんですが、それが僕にとってはすごく悔しかったんです。
その彼は僕よりずっと年下なんだけど、東大卒で、顔も良くて、運動神経も良くて、本当に何でも持ってる人なんです。いわゆる「ハイスペック」な人で、そんな彼がスラックラインをできたから、すごく悔しかったんですよ。それで「やっぱり何でもできる人は、こういうのも簡単にできちゃうんだな」って思って、なんだか疑いたくなるというか、ちょっと悔しさ混じりに見てしまいました。
そこで、こっそりスラックラインを始めてみようと思い、うちのお寺の境内にスラックラインを1本張りました。
最初は全然できませんでしたが、少しずつできるようになってきました。
初めて3秒間立てたときは、本当に嬉しかったです。しかも、周りのみんなは誰もできないから、自分が3秒立っただけで、すごくちやほやされるんですよ! もう、40代後半のおじさんがちやほやされることなんて、そうそうないですからね。それが嬉しかったのはもちろんですが「できないことに挑戦して、できるようになる喜び」を感じました。その感情を子どもたちにも伝えたいと思い、寺子屋の活動としてスラックラインをやることになったんです。
やっぱりお寺という場所には、「社会課題を解決していく」という役割もあるべきだと思っています。全国的に見ても、子どもたちの体力や筋力の低下というのは深刻な社会問題です。「外に出て遊びなさい」と言っても、外でスマホを触ってしまう、そんな時代ですよね。そんな中で、夢中になって取り組める何かを、お寺という場所で提供できたらいいなと思ったんです。お寺に人が集まって、子どもたちがそこで過ごす、そんな光景があったらいいなと。
それに、スラックラインは、木と木さえあればどこでも張れるんです。体育館やプールを新しく作るとか、グラウンドを整備するとか、そういう大がかりな話ではなく気軽に始められるので、お寺の中で、できる場所を見つけてやってみようと思いました。

(浄光寺スラックラインパークの様子)
“これ、超やばくない!?”が未来を動かす、林さんの原動力とは
ーー「できないことにも挑戦する」林さんですが、「負けず嫌い」だからこそ頑張るぞ!という気持ちになるんですか?
「負けず嫌い」というより、どちらかといえば「嫉妬」ですね。だから、すごく負けず嫌いかというと、そういうわけでもないんです。でも「前例がないから無理だよ」と言われると、スイッチが入っちゃうんですよね。課題が大きければ大きいほど燃えるみたいな感じです。めっちゃチャレンジ精神があると思います。でも登山とかは大嫌いなんです。マラソンも苦手で、そういう「自分との戦い」みたいなのは全然好きじゃないです。
ーー自分との戦いというより、むしろ「誰かの役に立つこと」や「困ってる人を助けたい」っていう想いがあるのかなって、お話を聞いていて感じました。
それがね、実は必ずしもそうでもないんですよ。
よく取材なんかでも、「地域活動とか街づくりについて林さんはどう考えてますか?」と聞かれることが多くありますが、「いや、自分は街づくりをするつもりもないし、地域活性なんて意識してやってるつもりも全然ないです。結果として”街づくり”になってるように見えるかもしれないけれど、街づくりをしようと思ってやっても、たぶん本当の意味では街づくりなんてできないんじゃないかと思うんです。
「街づくりします!」というスタート地点から始める活動は、結局どこかに「自分の時間とリソースを使って街のためにやってます」という自己犠牲的な気持ちがある気がします。それだと、たぶん続かないと思うんですよね。僕は、スラックラインを地域のためにやろうと思ったわけではないし、防災nuovoにしても、地元が被災したから復興の一環として始めたけれど、それがベースではないんです。
大人になってみて、今こうして社会に出たタイミングで思いますが、国もこんなに豊かになって、産業も文明もどんどん進化してるのに、それでも社会課題ってめちゃくちゃ残ってると思います。子どもの頃は「大人って完璧だな」とか「社会ってちゃんとしてるんだな」って思ってたけれど、実際は全然そうじゃない、ってことに気づいたんです。
そんな思いを持ちながらも、6年前の水害のときに、結局行政は助けてくれないんだという現実を知りました。社会って思ってたほど大したことないんだなって。たとえば、今のお米の価格が高騰している問題もそうだし、「結局、何もできてないんじゃん」とか。 プラスチックに関する問題は「プラスチックのストローを紙にすれば問題解決」というような単純な構図ではないという話を聞いて、意外とそんなもんなんだなってなるわけです。そう思うと、逆に「じゃあ自分にも社会とか、いろんなことを変えていける可能性があるんじゃないのかな?」と思えてくるんです。だから、スラックラインに関しても、ただただみんながめちゃくちゃ楽しむだけではなく、「この楽しさの延長で世界まで行けたら、やばくない?」って思ったんです。
災害や防災って、とても重たいテーマですよね。でも、そんな課題に対して、「やりたい!」と人が集まってきたら、それはすごいことだなと思うんです。僕は「やばくない? すごくない?」という感覚が、ちょっと好きなのかもしれません。
例えば、学校に行きたくない子は昔からいたけれど、N高グループは「学校に行きたい」「学びたい」という気持ちを引き出し、学ぶことへのイノベーションを起こしてるじゃないですか。これは、防災や災害の学びにも通じると思うんです。本当は災害なんて起きてほしくないし、自分事として捉えにくい、でも課題としては確実に存在する。
学校も「行かないとダメ」と言われるけれど、正直行きたくない日もある。でも、どうせ行くなら「行くこと」自体じゃなく、「どう学ぶか」にイノベーションを起こすべきだと思うんです。それがまさにN高グループのような取り組みですよね。

(N高グループにて講義をされた林さん)
スラックラインも同じで、「楽しい」から始まる。日本のスポーツは、根性論や、血を吐け、汗をかけみたいな風潮があったじゃないですか。僕も昭和51年生まれでサッカーをやっていましたが、当時はハーフタイムに水を飲むことは許されなかったです。
上の世代が「水を飲むのは甘えだ」と言っていた時代です。あの時、もしコップ一杯の水をくれてたら、もうちょっと後半頑張れたかもしれないなと思うんです。
スポーツは、みんな興味を持って始めたわけで、楽しいから続けてるんですよね。スラックラインもそう、ずっとスラックラインでいいじゃんという気持ちがあるし、成績や義務ではなく、“やりたいからやる”という純粋な動機で活動ができたら最高だと思っています。その延長線上で、世界への扉を開けることができたら、「これ、超やばくない!?」と、なるわけです。そんな夢を子どもたちにも語っていて、「このまま日本一を目指そう! 日本一になったら今度は世界に行こう!」と、そうやって声をかけてるだけなんです。
でも確かに、スポーツに限らず、学校の勉強でも何でも、楽しんで取り組むっていう根底の部分が抜けてしまってることってありますよね。物事の楽しさに気づけないまま、嫌な気持ちで終わってしまう。自分にもすごくあったんです。だから最近は、「どうやって物事の楽しさを見つけるか」っていうのを大切にしています。
それに気づいたきっかけが、脳科学でした。
人間の脳って、「楽しい」「面白い」と思った瞬間に情報を吸収するようにできていて、逆にそう思えないものは、ほとんど遮断してるんです。
日本人は、中学3年、高校3年、最低でも6年間英語を勉強してるのに、なかなか話せないじゃないですか。あれって、たぶん脳がずっと遮断してたんですよね。
でも海外に行って、生活の中で自然に英語を使うようになると、楽しいコミュニケーションの中でどんどん覚えていきます。「あ、楽しい!」って思った瞬間に、脳がどんどんインプットしてくれる。
でも日本の英語教育って、「文法が〜」とか「単語を覚えなさい」みたいな感じで、そこに楽しさがない。それじゃあ、覚えられないのは当然ですよ。
つまり、物事って、大人になっても同じで、脳は基本的にそういう仕組みで動いてる。だから、何かをインプットする時は、その瞬間を「楽しい!」とか「面白い!」と思える状況にしないと、意味がないんだなって思いました。

ちょっとここで僕のアイデア構想の具体化をちょっと見せますね!



お願いします!





まず、Googleマップで「nuovo」の活動を行うことができる場所がないか探します。「池袋か〜、サンシャインの裏ってどうなんだろ?」って探してたら、「なんだこの広い土地は!?」って思って、それが「イケ・サンパーク」でした。
まずは土地を探して、「このイケ・サンパークって何だろう?」と調べてみたら、平常時には地域住民の憩いの場、非常時には避難場所やヘリポート、救援物資集積拠点になる凄い公園だと気づきました。



めちゃくちゃすごいですね!



でしょ?平時は公園、非常時は防災拠点。「これ、nuovoと同じかも?」と思いました。で、「ここに接触するしかない」と。でもいきなり「重機入れさせてください!」なんて言っても、さすがに早すぎますよね。だからまずはスラックラインの大会をやって、徐々に関係を築いていこうと思っています。



なるほど。そうやって、スポーツや防災、いろんな活動をやってるからこそのつながりや持っていき方があるんですね!



そうそう。で、さらに調べてみたら、今年って「アーバンスポーツ」を推してる年らしいんですよ。



え、知らなかったです!



でしょ?
結局、大人っていうのは「理由」が欲しいんです。「これ、なぜやるんですか?」と聞かれたときに、「今、アーバンスポーツ推してるからやるべきなんです」という理由があると、納得してもらえます。逆に「いや、別にどこでやってもいいですけど、池袋がいいんです」と言ったら、「じゃあ池袋じゃなくていいんじゃない?」となってしまう。だから、これからプロジェクトをやっていくときも、「いや、これじゃなきゃダメなんです」という、明確な理由が必要になるんですよ。
そこがすごく重要なんです。今回、僕たちは池袋でイベントをやるにあたって、徹底的にリサーチをしました。池袋、つまり豊島区は「アーバンスポーツ」にすごく力を入れているということがわかりました。BMX、スケートボード、パルクール—そういう“街中でできるスポーツ”を区として推進しているんです。
じゃあ、なぜそんなにアーバンスポーツを推してるのか。理由は、東京23区の中で運動ができる施設、つまりグラウンドや体育館の数が、豊島区は人口比で一番少ないからなんです。でも今から体育館やプール、グラウンドを新たに作るのは難しい。
だからこそ、「街中を活用してできる新しいスポーツ」=アーバンスポーツを豊島区で推進していくことになったそうです。そういう背景がある中で、僕たちが「スラックラインやりたいんです」と言ったら「待ってました!」という流れになったんですよ。
しかも今回すごいのが、ただ場所を借りてイベントをやるだけではないんです。豊島区と「共催」なんです。 つまり豊島区と一緒に「スラックラインの大会をやりましょう」という形で動いてくれている。これはもう、豊島区のお墨付きということになります。で、これって言うだけなら簡単なんですけど、もしもですよ? もしも将来、スラックラインがオリンピックの正式種目になったらね、「いや〜、豊島区さん、かなり早い段階からスラックラインをやってましたよね!」っていう話になるわけです。そうなったら本当にすごい。今こうして話をしてるだけでも、ちょっとワクワクしてきませんか?
「オリンピックの正式種目にならないかな」と今から思っちゃうし、このイベント自体もすごく楽しみになってくるんです。
もちろん、正式種目にならなくても別にいいんです。でも「なったらやばい!」じゃないですか。だったら、もう今から当事者として、「みんなも一緒に関わっていこうよ」っていう。
それが「巻き込みの力」だと思うんです。


夢が定まらなくても動けば道は開ける、一歩踏み出す勇気とは
ーー最後に、この記事を読む方に向けて、一言メッセージをお願いできますか?
抽象的なんですけど、今って「夢がない」とか「やりたいことがない」っていう人が多いじゃないですか。でも実際には、将来に対する漠然とした夢って、みんなあると思うんです。



たとえば、関谷さんは将来の夢とかありますか?



母親がデザイナーなのでデザインに興味があったり、学校の先生になりたいと思っていたり、営業の仕事にも興味があります。受付やプレゼンター、ナレーターみたいな話す仕事にも惹かれています。



そうやって、いろいろな夢があっていいと思うんです。
むしろ、どれにするか悩んでいる時間がもったいない。とりあえず「営業をやってみたい」と思ったら、今営業をしてみればいい。プレゼンターになりたかったら、プレゼンをする環境に身を置けばいい。結果的にそこに行かなくてもいい。やってみたからこそ、次につながる道も見える。僕も「防災」と「スラックライン」が交わるとは思っていなかったです。
でも今は、池袋でスラックラインの大会をやりながら防災の啓発コーナーも開いています。そうやって、全然関係なかったもの同士が、誰かや何かを介して結びつくこともあります。
だからこそ、「興味を持ったらとにかく飛び込んでみよう」というのが、僕からのメッセージです。
突っ込んでみたけど続かなかったこともたくさんあります。でも、突っ込んでみたからこそ、スラックラインも、小鹿のようによろよろだったのが今ではここまで成長できました。スラックラインを通して、社会にどうアプローチできるかという実証実験もできている。教育にも興味がある人がいると思いますけど、教育にもいろんな立場があります。
実際にその場所に足を踏み入れてみて初めてわかることも多いです。たとえば、日本に飛び級制度がないのってなんでだろう? 飛び級がないから、今の学校に通う意味が見えなくなることもあるんです。
教育は、国の中でもっとも遅れてる分野のひとつかもしれないなと思っています。でも、N高グループのように最先端を行っている学校もあるし、リアルな体験を通して気づけることもたくさんある。実際、長野の合宿に3泊4日で来た生徒たちも、資格を取ってすごく頑張っていました。普段は暖かい部屋の中で過ごしている子たちが、リアルな環境で成長する姿って、やっぱり感動するし、リアルってやっぱり強いと思いました。
とにかく「一歩足を踏み出してみよう」、そして「やめたっていいんだよ」そういうメッセージを伝えたいです。


ーー防災やプライベートの経験、池袋のイベントなど、いろんなお話を聞けてとても素敵な時間になりました。ありがとうございました!
あとがき
今の社会には、正解がないことばかりだ。林さんとお話をしていく中で、やりたいことがわからなくても、夢がはっきりしていなくても、それは決して悪いことじゃないと思えました。 むしろ、いろんなことに興味を持てるって、それだけですごく豊かなこと。迷っている時間も、きっと大切な「準備期間」なんだなと。スラックラインも、防災も、教育も、最初は全部バラバラだった。でも、興味を持って飛び込んでみたことで、点と点がつながり、今では線になっている。 その線の先に、誰かの笑顔があったり、社会の変化があったりするかもしれない。そう思うと、挑戦することは、ただの自己満足じゃなくて、誰かの希望にもなり得る。そうやって、少しずつ自分の道が見えてくるんだと思いました。
「やってみたい」と思ったら、まずはやってみる。 「やめてもいい」からこそ、始められる。 その一歩が、未来を変えるかもしれないですね。この記事があなたの挑戦するきっかけになったら嬉しく思います。



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