伝統のなかで 今を感じ、今を生きるー歌舞伎役者/人間国宝 四代目中村梅玉ー

筆者は歌舞伎が大好きだ。
歌舞伎役者の一生を描いた映画『国宝』が全国的に大ヒットし、歌舞伎そのものにも注目が集まっている今、かねてよりお話をお聞きしたかった歌舞伎役者/人間国宝の中村梅玉さんへのインタビュー記事の執筆の好機と考えた。
そうはいっても、簡単にお会いできるような人物ではない。
いくつもの奇跡が重なり、お話をお聞きする機会をいただき、梅玉さんの歌舞伎役者としてのこれまでや歌舞伎への思いを伺った。
(クレジット)
取材・文=あつひめ(S高4期・通学コース)
話を聞かせてくださった方
歌舞伎役者/人間国宝
四代目中村梅玉さん
ーー公演などお忙しい中で、いち学生の取材をお受けいただけるとは正直思っていませんでした。
なぜ今回取材を受けてくださったのですか。
「このインタビュー記事で歌舞伎の普及ができればと思いましたし、N高に興味があります。
学校のCMをテレビで見て、N高ってなんだろうなぁって思っていたので(笑)。
ましてや、あなたが『小学生のための歌舞伎体験教室』(※)に参加して以来、歌舞伎に興味を持っているということだったので、喜んで取材をお受けしました。」
※『小学生のための歌舞伎体験教室』
歌舞伎の楽しさを知ってもらう小学生向けの体験型プログラム。2003年からほぼ毎年、夏休みの時期に開催されており、梅玉さんは2006年から指導監修を務められています。
ーー映画『国宝』はご覧になりましたか。
「まだ観てはおりませんが、主演の吉沢亮さんや横浜流星さんがとっても綺麗ですから、興味はあります。
映画をみることは子供の頃から好きで、むかし渋谷に住んでいた頃、周りに4〜5件映画館があったので毎月のように観ていました。
その頃は西部劇が主流だったので、西部劇をみることが多かったですね。」
ーー梅玉さんは2022年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されておられますが、認定された時のお気持ちを教えてください。
「責任感が増しました。
歌舞伎は重要無形文化財に総合指定されていて、世界文化遺産にもなっていますが、その総合指定の中から選ばれたものが、無形文化財の個人指定を受けるわけです。
その指定になったということには、喜びとかというよりも、ひたすらに責任を感じています。
日本の誇るべき伝統芸術である歌舞伎を”いかに後世に伝えていくか”という使命感だけですね。」
取材時は東京・歌舞伎座で七月歌舞伎に出演中だった梅玉さん。
近年では人気マンガ『NARUTO-ナルト-』やオンラインゲーム『刀剣乱舞』などを原作とした新作歌舞伎などにもご出演されています。
ーーどのような思いで『NARUTO-ナルト-』や『刀剣乱舞』などの新作歌舞伎にご出演されているのでしょうか。
「歌舞伎は400年近い歴史の中で、その時代その時代で新しい作品が創られて今に至り、財産として残っているわけで、我々はそれらを継承することが何よりも大切だけれども、今の時代の作品を創ることも大事な使命であると思うんですよね。
ですから、『NARUTO-ナルト-』や『刀剣乱舞』のような新作歌舞伎を作ることは大賛成です。
それによってますます歌舞伎の多様性は広がっていきますよね。
ただ、それをどうやって仕上げていくか、というのは演者・裏方・スタッフ、その他関わり合うもの関わり合う者全員の共同作業ですから、難しくもあります。
自分自身もすごく素敵なチャレンジをしていますし、皆で作り上げる喜びもありますし、歌舞伎の財産の一つになっていけたら。
今月の『刀剣乱舞』(2025年7月から巡業中)のパンフレットで、『100年先にもこの刀剣乱舞が残ることを目指して我々は作り上げています』と松也くん(尾上松也)も言っているけれども、まさにそういうことですね。
国立劇場で新作の歌舞伎を何年か上演した時に、出演しつつ演出も担当したこともありますし、新しい歌舞伎を作り上げることは、私にとって楽しい仕事の一つでもありますね。
新しい歌舞伎を作り上げていくことは絶対に必要なことであるし、それが出来るという充実感は感じていますね。」
疑問に感じたり可能性を考えることは大事
ーー歌舞伎に関わる若い世代に感じること、思うことについて教えてください。
「歌舞伎というのは男の世界ですし、代々伝わってきている名門の家の息子たちが歌舞伎役者になる以外に、外から歌舞伎の世界に入ってくる人たちもいるわけですよね。
でも皆それぞれ歌舞伎が好きでその道を目指しているということは、とても良いことだと思います。
ただ、あんまり殻に閉じこもってほしくないと思っているんです。
教わったことはきちんとやらなくてはいけないけれども、もっとチャレンジ精神を持つのもアリなんじゃないかと思うんです。
しきたりとか教わっていることに対して、疑問を持ってもう少し柔軟に『こういうことやってみたいな』と考えてみることも必要であると思います。
ただそこは難しいところで、特に古典物に限れば先達によって完成された型(セリフにしても動きにしても)があるわけです。
それを安易な考えで崩してしまうのは全くダメですけれど、疑問に感じたり可能性を考えるということは大事だと私は思いますね。

我々のように歌舞伎役者の家に育った男の子たちというのは、生まれた時からそのレールが決まっているわけで、否応なしにその道を進むんだけれども、やっぱり学生時代なんかは私も『これで良いのかな、もっと他にやりたいこともないわけじゃないんだけどな』とか考えていたこともありました。
そういうことを考える時間というのも必要だと思うんですよね。
外から入ってくる人は皆、歌舞伎が好きで入ってくるんだろうけれども、代々の家の男の子たちは、生まれながら将来の進路が決まっていますから、好き嫌いは別として迷う時期があると思います。
でも、それぞれ皆立派に歌舞伎役者になっていくんだけれどもね。
私の場合は、歌舞伎役者になることを宿命づけられていたけど、子供の頃から音楽が好きでジャズプレイヤーに憧れた時期もありました。
一時期、モダンジャズにもハマってトランペットまで買ったしね(笑)。
もちろん、そんなこと親に言ったら怒られますが(笑)。趣味でやっていました。」
ーー今も音楽はお聴きになりますか。
「もちろん今も聴いています。昔買ったジャズのレコード盤が何枚もうちにありますよ。
今はもっぱらJポップで、特にサザンオールスターズを聞いています。」
歌舞伎という文化を後世に残したい
ーー『小学生のための歌舞伎体験教室』や『こども歌舞伎スクール 寺子屋(※)』など若い世代の育成と歌舞伎の普及の活動をされている梅玉さんの、根源にあるものについて教えてください。
「我々歌舞伎役者は、何百年も続く日本の誇るべき伝統文化である歌舞伎を後世に伝える役割があります。
それには、やはり1人でも多くの方に歌舞伎を体験してもらいたいと思っています。
歌舞伎というのは何百年も続く中で浮き沈みもあって、戦後、今に歌舞伎は滅びるんじゃないかと言われていた時代もありました。

左2人目より 梅玉さん、中村莟玉さん(梅玉さんの養子)
でも、不死鳥のように蘇ってまた歌舞伎が隆盛になった時に、私たち世代が一人前になりました。
先輩方が築き上げてきた歌舞伎という文化を、後世に残したい、残さなければならないという使命があります。
それには何をしたらいいかということで、若い人たち、歌舞伎を知らない世代にも体験してほしいし観にきてほしいという使命感が一番強くありますね。
幅広い方に歌舞伎を観ていただきたいと思っています。
特に、若い子供達にとっては学校でも習うことがあまりない、日本の大事な文化を知ってほしいという思いはありますね。
もちろん、歌舞伎だけでなく色々な素晴らしい伝統文化はありますし、日本人としての誇りを持ってほしいということも一つあります。」
※『こども歌舞伎スクール 寺子屋』
4歳から中学生までの生徒がお稽古を通して歌舞伎や日本舞踊などを学ぶスクール。
右から莟玉さん(梅玉さんの養子)、梅玉さん。
同級生が応援してくれた
梅玉さんは8歳の時に叔父である六代目中村歌右衛門の養子となった。
歌舞伎役者として歩む梅玉さんのこれまでを伺った。
ーー歌舞伎役者の養子になると決まった時の心境を教えてください。
「歌舞伎役者の家に養子に入るということは、自分はこれから歌舞伎役者になるんだろうなと思っていましたし、当たり前の道筋という感じで、全く抵抗もなかったです。
養子に入った頃は小学四年生でしたし、それから中学・高校と進む中で、学校で特別扱いされるのだけはちょっと嫌でした。
舞台があるから早退しなければならないとか、そういう悩みはありました。
歌舞伎役者になる覚悟というか、養父の舞台も小さい頃から見ていましたし、養父(以下、父)は私にとって叔父にあたるので家にもよく出入りしていましたから、よその家に養子に行くという感覚はありませんでしたね。」
ーー学生時代は、家に帰ったらすぐお稽古ですか。
「そうですね。ですから部活には参加出来ませんでした。
昼の部に出演する時は早退しなくてはならないから、授業に出られない時もありました。
青春と言われるような思い出がなかったのは残念でしたが、同級生たちがすごく応援してくれました。
今思えばそれがとっても嬉しかったですね。」
ーーどのような経緯で立役(※)や女方(※)など決まっていくのですか?
「子役の頃は両方修行していました。
弟の橋之助(現中村魁春)と、『福之助(梅玉さんの幼名)、橋之助』で初舞台を踏みました。
昭和42年、私が20歳になった時に福助を襲名して、弟が松江を襲名しました。
その時にこれからやっていく路線を父から決められました。
父は女方だから、長男である私が女方を継ぐのかなと思っていましたが、弟が女方、私が立役になりました。
女方というのはすごく神経細かい人でないといけなくて、私はのんきな性格なので、きっとそれも考慮して父が決めたんだと思いますね。」
※立役
男性役のこと
※女方
女性役のこと
ーー歌舞伎役者をやっていて嬉しかったことや良かったことを教えてください。
「嬉しいことはやはり、お客様に褒められることですよね。
うちの親に褒められたことは一度もなかったけれども、それなりに評価していただいて、
役者冥利だなと思ったりしますね。
どんな厳しい修行があっても、どんなに批評家に悪く言われても、それで辞めようとか、
役者でなければよかったと思ったことは一度もありません。
それは歌舞伎が好きだったからでしょうね。
もちろん好きだけでは駄目だけれども、今となって考えても後悔は全くありません。」
”今”を感じて”今”を生きるということ

ーー梅玉さんが歌舞伎役者として長く活躍されている中で大切にされていることについて教えてください。
「芸は一生が修行だと言うことは昔から言われていることで、それは当然ですけれど、私自身が大切にしていることは、なるべく現代を生きることですね。
歌舞伎役者は古臭い人間だと思われてしまうことがあるので、今を感じるということですかね。
音楽を聴いたり、バラエティ番組も観ますし、お笑いコンビかが屋のファンなんです(笑)。
もちろんニュースなどの報道も目を通すようにしています。
”今”を感じることが、伝統芸能に携わる人には必要なんじゃないかと思うんです。
それによって、『なるほど、いま世の中はこんな感じに動いているんだ』とか、古典のものはなかなか変えることが出来ないけれども、ちょっとした感性で『少しここは現代の人に通じるような形にしてみようかな』とか考えることは
よくありますね。
大切にしていることは歌舞伎役者それぞれですが、私としては今を感じて今を生きるということを大切にしています。」
若い世代には、色々な経験をしてほしい
ーー歌舞伎界に限らず、若い世代に大切にしてほしいことはありますか。
「それはやはり、色んな経験をすることですね。なんでもいいんです。
学歴社会で、高校・大学受験を目指したりしなければいけないのも分かるけれども、もっと色んな方面に目を向けてほしいですし、好奇心を持ってほしいですね。
歌舞伎役者を目指す人たちも、お稽古も大事だけれども、チャレンジ精神は持っていてほしいと思いますね。
その中で、もしプロ野球選手になりたいと思うならなればいいんだと思います(笑)。」
ーー若い人に見てほしい歌舞伎の演目はありますか。
「この演目というのはありませんが、まずは歌舞伎を観て、何かを感じ取ってもらえればと思います。
舞台に出ている人の様式美とか、舞踊の美しさとか、それこそ舞台面の装置・背景とか。
まずは感性で観てほしい。
それから段々、もう一歩踏み込んで見てみようかなとなったら、初めてイヤホンガイド(※)を使って鑑賞してみたり。
理屈とかを知るのは後でいいので、まずは感性で感じてほしいですね。
初めて歌舞伎を観に行って、何やってるんだろうと感じることがあってもいいんですよ。
それで、嫌いになっちゃってもいいんだけど、一つ何かを感じてもらえればと思います。
隈取(※)がインパクトがあったとか(笑)。
今月の『刀剣乱舞』も、初めて歌舞伎を見る人がたくさんいると思うんですね。
それをきっかけに歌舞伎を感じてもらえたら次につながると思うんです。」
※イヤホンガイド
上演中に同時進行で、歌舞伎独特の所作や約束事を解説してくれるイヤホン型のガイド。※隈取(くまどり)
役柄や性格を表すための歌舞伎独特の化粧方法。
ーー梅玉さんご自身がこれからやってみたいことがあれば教えていただきたいです。
「本場のスーパーボウルを観に行きたいですね!
学生時代に仲の良い友達がやっていたんですよ。
アメフトはずっと好きで、むかし後楽園にあった競輪場の真ん中でやっていた頃から観に行ってました。
あとは、サザンのライブに行きたいですね。」
ーーちなみにサザンの中で一番好きな曲はなんですか?
「良い質問だね〜(笑)。選ぶのは難しいけど、『いとしのエリー』ですかね。
最低でも10曲は浮かびますね(笑)。」
ーー休日はどのように過ごされていますか?
「散歩をしたり、家で音楽を聴きながらゆっくりしていることが多いですね。
年に2回の休みの時には、旅行に行っています。
去年の冬休みに久しぶりにハワイに行きました。
團十郎さん(市川團十郎)に教えてもらったお寿司屋さんにも行きまして、とっても美味しかったです。」
それから、筆者の住む福岡でのエピソードや、梅玉さんの好物が福岡名物一蘭のラーメンであることなどで盛り上がり、終始和やかに取材をさせていただきました。
終わりに
いち学生にも気さくにお話ししてくださった梅玉さん、私自身もとても楽しく本当に貴重な時間を過ごさせていただきました。
今回の取材を通して、どれだけ歳を重ねても、変わりゆく時代に応じて柔軟に生きておられる梅玉さんのような大人になりたいと思いました。
七月大歌舞伎公演中にもかかわらず、取材をお受けくださった中村梅玉さんに改めて、御礼申し上げます。
本記事が歌舞伎への興味を持つきっかけとなれば、とても嬉しく思います。


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