筆者も体験!「博物館浴®」でととのう

温泉でリラックスしたり、森林浴で心が癒されたりするように、「疲れを癒しに博物館へ行く」という未来が来るかもしれない。
そんな未来を作り出そうと研究・実験を行う、九州産業大学 地域共創学部 緒方泉特任教授にお話を伺った。
(クレジット)
取材・写真・文=あつひめ(S高4期・通学コース)
話を聞かせてくださった方
緒方 泉(おがた いずみ)さん
九州産業大学 地域共創学部 特任教授
撮影=あつひめ
「博物館浴®」とは?
森林浴や海水浴のように、「博物館での作品鑑賞やその空間に身を置くことで、心身のリラクゼーションや精神的な充実感を得ることができる」という考え方です。
博物館とは、知的刺激を受け、学ぶ場所です。
それに加え、人々の健康増進や疾病予防に役立つ癒しの効果があるのではないかと考え、「博物館浴®」という概念を提案して研究・活動をしています。
(福岡市美術館 季刊誌エスプラナード219号引用)

「博物館浴®」ロゴ
画像=緒方教授提供
「博物館浴®」 実証実験
この実験は、2025年3月31日(月)国立西洋美術館で、高齢者・育休復帰者33名を対象に行われ、筆者も特別に参加させていただきました。
被験者に実験の説明と実験で得た個人情報の取り扱いなどの了承を行い、心拍センサーを左脇腹あたりに装着し、鑑賞中の心拍変動をリアルタイムで測定します。
また展示室に入る前に、iPadのインカメラで専用のアプリを使用し、下瞼のヘモグロビンの動きを元に鑑賞前の自律神経を測定します。10秒ほどの測定を終えた人から鑑賞を始めます。
被験者には展示室を巡るルートを示した地図が配られており、地図に示された絵画やオブジェを1分間ずつ鑑賞します。
今回は本館2階、新館2階と1階の常設展示室の作品41点が対象でした(作品は、物語性のある作品、人物画、風景画、静物画)。
下瞼の動きによって10秒ほどで自律神経を測定するアプリの仕組みにとても驚きました。
1時間で指定された絵画を鑑賞するという経験は初めてでしたが、様々なジャンルの絵画やオブジェがあり、楽しみながら実験に参加できました。
そして新館1階出口で、鑑賞後の自律神経の状態を測定しました。
筆者の結果は、鑑賞前よりも鑑賞後の方が集中力が高まっていました。
同じく実験に参加されていた、育休から復帰して3年の方にお話を伺いました。
実験で絵画を鑑賞する被験者
撮影=あつひめ
ーー今回の実験に参加されたきっかけを教えてください。
「会社の部署で去年から緒方教授の研究に協力していて、今回も教授からの声かけがあり参加しました。」
ーー鑑賞前の測定ではどのような結果でしたか。また、作品を鑑賞された後に測って変化はありましたか。
「鑑賞前は、疲労感が強いという結果が出ました。
鑑賞後は、集中と活力も高まっていましたが、リラックスが一番高まっていました。」
ーー鑑賞中に感じたことや鑑賞を終えて感じたことなどを教えてください。
「鑑賞前と鑑賞後に、自分ではあまり変化を感じなかったです。
鑑賞前はリラックスしているつもりでしたが、測定をすると疲労感が強いと出たので、知らず知らずのうちに気を張っていたのかなと思います(笑)。
それが数値に現れているのが面白かったですね。
自分の中では気づかないところで、メンタルの上がったり下がったりがあるのだなと感じました。」
ーー特に印象に残った作品はありますか。
「ポール・ゴーガンの《海辺に立つブルターニュの少女たち》(国立西洋美術館ウェブサイト)と、実験では鑑賞していない作品でしたが、サム・フランシスの『ホワイト・ペインティング』が特に印象に残りました。」
緒方特任教授にインタビュー
ーー「博物館浴®」を始めようと思ったきっかけを教えてください
「博物館は日本に5700くらいあって、1人あたり年間で1回くらいしか訪れない。
博物館関係者からすると、こんなにいい作品があるのに、展覧会があるのに、なんで来てくれないんだろうと思います。
でもそれって我々が思っていることであって、皆さんに聞いてみると、『どうしても博物館って遊びに行くっていう感じじゃないし、一点一点難しい解説を読まなくてはならないし、頭痛くなっちゃうよね』とよく言われます。
皆さんにとっての博物館って、知識を得るための学ぶ場所という固定観念があるのかもしれない。
そういう固定観念があるところに、我々が「知識を得るために学びに来て欲しい」と言ってもなかなか人が来ない。
じゃあ別の角度から、別の価値というものを皆さんに提案することによって、博物館の利用が変化してくる可能性があると思いました。
海外に行ってみると博物館というのは生活を変える、QOL(※)を上げる、そういう場なんです。
※QOLとは
「Quality of Life」の略。
日常生活における満足度や充実感、自分らしさを評価する指数のこと。
皆さんの健康なくしては学ぶこともできないので、そのような活動に欧米の博物館は取り組んでいるということを知ったわけです。
じゃあなんで健康と関係があるのかというと、データに基づきながら、博物館は健康にこれだけいいんだということが分かったからです。
これは、2019年にロンドン大学の研究チームが発表した、「文化芸術に親しむ機会が多い人ほど長生きする」という論文が影響しています。
『博物館浴®』というネーミングには、皆さんの疾病予防や健康の増進のためにミュージアムを活用してもらいたいという思いがあります。
皆さんの健康、ウェルビーイングのため、メンタルヘルスの支援のための博物館という方向付けをしていけば、ミュージアム界が変わってくると思っています。
そういうこともあって、博物館での活動を『博物館浴®』と名付けて、皆さんにもっと気軽に訪れてもらいたいなと思い活動を始めました。」
撮影=あつひめ
ーー最初の実験はどこで行われましたか。
「最初の実験は2020年9月の九州産業大学の美術館で行いました。
実験でのデータを学会や研究誌などに公開したことで、全国の博物館・美術館の方々が関心を持ってくださって、『うちでもやってみたいです』と北から南まで多くの学芸員に興味を示していただきました。今日の国立博物館で90館、1300人を越える方々のご協力を得て、研究を続けています。」
ーー「博物館浴®」が社会に広まることで、どのような効果をもたらすと思いますか。
「不登校の子供達は約35万人いて、15〜64歳までの引きこもりの方が約146万人います。
更に、働く人たちについても82.7%の人がなんらかの不安や悩みを持ちながら働いています。子供を育てるということで言うと、10人に1人が産後うつになっています。
これって、小さな子供から大人までが、ストレスによって動けなくなってしまっている状態を示しています。
人間というのは『ちょっと危ないよ』という時に交感神経(※)が働きます。
交感神経が働くとアドレナリン(※)が出て、更にストレスに対処しようとして、交感神経が働きっぱなしになってしまうんです。
ですから、どのように副交感神経(※)を働かせるかが大事なんです。
博物館は、交感神経と副交感神経のバランスを取りやすくする場所になるという、科学的データが蓄積されています。
アドレナリンがたくさん出ていたり、コルチゾール(※)が出続けてしまっている時、
そのままにしておいては、体に良くありません。
博物館の新たな価値として、ストレス社会に生きる人々のオアシスになると良いなあと思っています。
緒方教授が考える「博物館健康ステーション」の図
画像=緒方教授提供
カナダなどでは、処方箋に『博物館に行く』と書く取り組みが2018年から始まっています。
それはなぜかというと、約10年の調査の中で科学的に『ストレスのホルモンが減る』と立証されているから、お医者さんも『博物館を使ってみて』と処方箋に書くわけです。
今、日本で私が博物館を使ってくださいと言ったところで、全然信じられないといったことにならざるを得ないので、データをきちんと積み上げていきたいと思っています。
ストレスに対応できる場として、博物館は非常に重要なところだからぜひ使ってくださいねと、もっと皆さんにアピールできるようになると一番いいなと思っていますね。」
※交感神経:自律神経の一種。臓器や器官などの働きを向上させる神経。
※アドレナリン:ホルモンの一種。体内の緊急事態やストレスの時に分泌が高まる。
※副交感神経:自律神経の一種。体を休める時に働く神経。
※コルチゾール:ホルモンの一種。過剰分泌してしまうとストレス関連疾患の一因となる。
終わりに
今回の取材を通して博物館の多角的な利用の仕方を知り、実際に感じることができました。
また、海外では想像以上に取り組みが進んでいることを知り大変興味深いと思いました。
日本でも「博物館浴®」という言葉が広まり、1人でも多くの人が生きやすい社会になると良いなと思いました。
本記事が、読者の皆さまが「博物館浴®しよう!」と思うきっかけとなれば、とても嬉しく思います。
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