【N/S高新聞 卒業生座談会】先輩たちに聞いてみた、N/S高新聞の歴史(後編)

取材・文=tom(S高4期・通学コース)きほちゃ(N高7期・ネットコース)

N/S高新聞が始動して3年がたち、初期から支えてくれた実行委員が卒業しました。
今回の記事では、今年の新聞実行委員卒業生と一緒に、最初期の実行委員だった方(現在はスタッフとして支えてくださっています)にもお話を聞き、3年間のN/S高新聞の歴史を振り返りました!
N/S高新聞での思い出話や知られざる新聞実行委員の裏話がたっぷり!
この記事で座談会に参加できなかった卒業生の皆さんは「こんなことあったなー」と思い出に浸り、在校生、新聞実行委員に興味がある皆さんは新聞実行委員の雰囲気を知っていただけたら幸いです。
ぜひ最後までご覧ください!
※N/S高新聞は、2025年度より「N高グループ新聞」へ名称を変更しております。
座談会メンバー
きほちゃさん
N/S高新聞実行委員執筆2期生
ほのかさん
N/S高新聞実行委員執筆2期生
miite(みーて)さん
N/S高新聞実行委員動画制作コース1期生
まどやんさん
元N/S高新聞実行委員執筆1期生
(現在はTAとしてN/S高新聞実行委員に関わっている。)
かなぽんさん
元N/S高新聞実行委員執筆1期生
(現在はTAとしてN/S高新聞実行委員に関わっている。)
新たな神降臨
現在のメンタースタッフ奥村さんが来て不安定な時期を抜けて安定していった?

奥村さんが来てから、「高校の委員会」みたいになってきて動きやすくなったかなと思って安心しました。



奥村さんが来るまで、プラン通りに進めるみたいなものが浸透していなくてそれぞれのペースでできるっていう自由度もあって良いところでもあったんですけど自由過ぎてしまって色々ぐだぐだになってしまって。
奥村さんが来てから計画を立てるようなところからしっかりとやるようになって学園が目指している「社会で役立つスキル」を身につけるみたいなことができるようになったのは実感しています。



委員が活動しやすいように規則とかが揃えられていった。



奥村さんが降臨されたのが意外と最近だなってことに驚いています。



勢いがすごかった。奥村さんが来てから整い方がすごくて、新聞をより良くしたいっていうのがものすごく伝わってきたし、なんか愛を感じました。
N/S高新聞での思い出



3期生(2022年後半頃)が入ってくるぐらいまで、毎日のようにSlackで通話が開かれてたりとか24時間ずっと通話してたりしてた時期があって楽しかったなっていう思い出があります。今考えたら「24時間とかアホやな」って自分で思いますけど、そういう期間があったからこそみんな繋がれて、そういう瞬間にできた企画とかもあって、繋がりがあったからこそ何かが生まれたというのがあったので欠かせない時間だったなと思います。
ここにいる人はN/S高新聞の初期、不安定な時期、安定した時期の全部に関わっていた。それに合わせて何か変化していったことはありますか?



N/S高新聞での活動が楽しくなったのって安定期からなんですよね。不安定期を経験してはいるけど、「不安定期ってあったんだ」と今になって思います。振り返ってみるとやっぱり今とは全然環境が違ったし、モチベーションとか活動の頻度が今より全然低くて。「この時期って不安定だったんだ」って改めて思いました。



この時期は分断されていた感じがあって、活動したいけれど「受験があって」とかで動けない人もいたし、完全にオフラインで全く反応がない人もいた。それぞれがバラバラになってしまっていたから一人で頑張ろうと思っても「追加の燃料がない」みたいな状態になって。逆に初期とか最近はみんなが周りにいるから自分も頑張ろうと思えるしそれを応援してくれる仲間もいたり、逆に応援したりという雰囲気がある。不安定期にはそれがなかった。



そんなきほちゃはどう? 「この期で何か変わった」みたいなのあった?



そんなきほちゃは、これ(期の移り変わり)に左右されていて。



そんなイメージあるわ笑。



新聞大好きだったから。私は人と喋ることが苦手で人が怖かったけど新聞のみんなと話したり遊んだりしているうちにそういうのがだんだん無くなっていったというのがあるので、ものすごく影響を受けた。
不安定期とかヤバくて、「新聞をよくしていこう」とみんなしていったけどそのグループの中でもいざこざがあったり、私はみんなでやっていきたいのに少人数でやった方が話が進むんじゃないかとかのすれ違いもあったり。組織を良くしていこうとし過ぎて一人一人の居心地とかを考えられなくなって喧嘩になることも多くて、でもそれがあったからこそ今の安定期にも繋がっていったのではと思ったら無駄な時間では絶対になかったし、自分自身もそれで成長できた。
不安定期って悪いふうに聞こえるけど欠かせない時間だったのかなと思います。



確かに(きほちゃは)スタッフの方と話をしていっぱい頑張ってくれていたよね



たくさん喋ったし、でもそれで傷つけてしまった人もいたと思う。
それを受け止めてくれていたのはありがたかったなって今になって思います。
組織としてうまくいくかっていうのも大事だけど、それよりもみんなが楽しめるのが一番だなってこの時期を経験して思って。居心地が良いとか心の安全が守られている。
それがあったから挑戦できる環境とか学びを得られる環境というのが整うって組織にとって大事なことだなって思いました。組織作りとかっていうのを新聞で目の当たりにできたのかなって思います。



初期も勢いづいていたし、不安定期安定期あれど、みんな不安定期も頑張っていた。「うまくいかないな」という時期があったのはいい躓きだったかな。



うんうん、ほんとうにいい躓きだった。



まどやんはどう?



私は生徒からTA(※)という立場に変わっているので特殊かなとは思うけど、0.5期(初期)の生徒の時は「やりたいこと全部できるじゃん」みたいな気持ちが強かった。
もともと文章を書くことも好きだし、自分の考えを誰かに見てもらうっていうのが好きだったから、企画段階から配信までっていう一連の流れが楽しくて生徒時代のモチベはすごく高かった。
TAになって、こういう感じの仕事をしたことが無かったから、仕事人として経験不足過ぎて後輩たちが不安定になっているというのはなんとなく感じてはいたけど、私は全く内情がわからなかったなと今になって思います。その時は私個人にとっても不安定期だなって思う。安定期になって「みんなのサポートをしたい」という思いがさらに強くなって、自分としても成長を実感できた。私もきほちゃと一緒ですごく左右されているなと思います。



座談会というより反省会みたいになりつつある笑。
N/S高公式X(旧Twitter)ができた時の話



わかんない。まどやん先生? お願いします。



一期生のときにはもうあって、結構活用していた。Twitterも不安定期を経験していて、一時期全く投稿されなくなった。



新聞全体がスランプみたいな時期があってTwitterも動かないしインスタも動かない記事も出ない。



私たちより一つ上の先輩たちがやってくれてますね。今は無いんですけど企画会議というものがあって、そこで「Twitterを動かしたくね?」みたいな話が出てきて。



あっ、今企画会議ないのか



企画会議ないよ笑。



企画会議も振り返りもないもんね。



「やりたい」って言い出した人が中心となって今のTwitterチームインスタチームができた。



公式LINEもやろうとしていた。LINE送ったらえすぬんが返してくれるみたいな。お金かかるし、いろんな制約もあって実現はしなかったけど笑。
保護者通信版(※)の話



創刊当初から参加していた私からみると、今よりもスタッフさんが中心で進めて。
途中からデザインも生徒主体でやるってなったけど、ある2期生の人が「俺がやります」みたいな感じで中心になってくれた。
保護者通信は全家庭に配布するということで規模も普段の記事より大きかったから、「あ、こんなこともできるんだ」という感動はあった。



その2期生は全部やっていたもんね。保護者通信も仕切っていたし、新聞のフォルダも支配していたし。



全部背負いまくっていたから、それを分散させていけたのも安定期に入ったからかな。



miite(みーて)さん関わっていないと思いますが保護者通信について何か思った事はありますか



気づいたときにはすでに保護者通信というものがあって、「あ、これN/S高新聞なんだ」という不思議な気分になりました。「私の仲間がこれを作ってるんだ」っていう感じで。実際形になって手元に来て「すげぇな」って思います。



全部の家庭に配布されるというのが規模が大きいなと。「N/S高新聞」っていう名前が入ったものが全家庭に配布されるというのが嬉しい。
保護者通信っていつからあるの?



2年前ぐらいから。
最初は「おすすめの記事」みたいな感じのことを書いていた。ミニマムな話題から始まって、ZEN大学とコラボした記事も出た。https://zen.ac.jp/news/nspaper01



書きましたねー。最初は自分たちが書きたいことを書いてたけど、それがどんどん誰かのためになるようなことを書くように変化していったのが保護者通信というのは目に見えている、それが面白いなと思う。
デザインも最初はプロのデザイン担当みたいな人にお任せをしていたけど、「生徒もデザインやりたい」みたいなことを自分たちから言って担当するようになって。ZEN大学の記事も全部生徒が作った。
いつもの記事は気にしなくていいけれど、紙面になった時に文字の配置とか大きさとか「こうしたら読みやすい」というのが紙面に現れるからそういうのも勉強できて楽しい。



動画コースが出来てより幅が広がった。いっぱい人がいていろんなことができる人がたくさんいるっていうのは新聞実行委員の強み。



執筆コース、動画コース両方いるからマジでなんでもできる。
この歴史を見て在校生は何を思った?



noteのときだったかわからないんですけど、連載小説(※)みたいなのをされてなかったですか?



やってました! よく知ってますね。



実は私、実行委員に入る前からそれを読ませていただいてて。本当にいろんなことをされて考えながら、今までやってこられたんだなっていうのを聞いて、初期の人たちの”強者感”じゃないですけど、本当に強い人たちだったんだなっていうのをすごく感じてます。



強い?(笑)。



本当にいろんな経験をされてて、その量がとんでもないなっていうのを今感じました。すごく尊敬します。



でもそれって、みんながやってみたいこととか、ワクワクすることを素直にやっていただけのような気もしてて。だからそれがすごいことでもあると思うんですけど、みんなにも全然できることではあるのかなって聞いてて思った。
でも嬉しいです、連載小説も読んでもらえてたとは。



私は中等部に所属していた一昨年くらいからN/S高新聞のことを知っていて、記事も読んでいたので「こんな歴史があったんだ」とか「この時期はこういうことがあったんだ」って知ることができて、めっちゃ興味深かったなって思います。
あと、私が新聞5期生の研修を受けていた時を振り返ると、先輩方とか職員さんとかも手厚くサポートしてくださって、すごく安心できる環境だったんだなと思っています。今の環境があるのは、新聞の先輩やスタッフさんが、不安定期を乗り越えて、衝突してみたいな、そういうことがあったからこそ今があるんだなって。



僕は話を聞いていて、真ん中の不安定期が一番いろんなことが進んでいったりっていうのもあって、でもそれが結構、難しかった、苦しかったっていうのはあったと思うんですね。でもその中でやっぱり新聞が続いていってるわけなんで、先輩方はすごいなって思うのと、あとは何かやっぱり自分らは幸せなんだなっていう幸せな期間に入ってこれたんだなっていうのがあるので、いろんな歴史をつなぎつつじゃないですけど、活動していけたらいいなって思いますね。



「もっと大変だった人がいるから悩んじゃいけない」ってわけじゃないけど、だいぶ頑張ってみんなで場所を整えたので、いっぱい有意義に使ってほしいなって思ってます。
おわりに
終始、皆さんは明るく取材を受けてくださいました。私たちが知らないN/S高新聞の歴史を皆さんが語ってくださり、これからの活動の糧にしていこうと思いました!
卒業生・スタッフの皆さん、ご協力ありがとうございました。
【N/S高新聞 卒業生座談会】シリーズでは、卒業生の皆様にN/S高新聞実行委員になった時やこの経験を今後どのように活かしていきたいか、また未来のN高グループ生へ向けたメッセージなどを聞いたインタビュー記事も配信されています。 ぜひご覧ください!
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