自分のまま生きるためにー拝啓、高校生のあなたへー ア福リカインタビュー

取材・文・写真=きほちゃ(N高7期・ネットコース)
取材協力=かおるさん(イベント参加者)
周りの意見に流されてしまったり、親や先生の言うことだからとそのまま行動してしまったり、相手の感情がそのまま自分のものになってしまったり。
小さい頃から、あるようでない自分に悩んでいた。
「自分のまま生きるとは、どういうことなのだろうか。」
「自分のまま生きるためには、どうすればよいのだろう。」
そんな疑問を抱いた私は、心から信頼を置くある団体にインタビューをした。
なぜ彼らにインタビューをしたのかは、次章を読めばお分かりいただけるだろう。
なぜ彼らにインタビューをしたのか ー筆者とア福リカの出会いー

私が彼らのことを高校生に伝えたいと思ったのは……。
今年の2月上旬。『B-side TOTTORI(※1)』という、教育に興味を持った高校生/大学生向けの対話プログラムに参加した。
その頃の私は、所属していた組織での自分の状況もあり、人の生き方や幸せの本質について熟考していた。また「今日、誰のために生きる?(※2)」という本の影響もあり、アフリカに暮らす人々のもつ価値観や在り方にとても興味を持っていた。
だからこそ、『B-side TOTTORI』にはXでポストを見た瞬間に心を打たれた。
プログラムの拠点となったのは、鳥取県西伯郡大山町の一角にあるアフリカンエコビレッジ・Hakuna Matata(ハクナマタタ)。暮らしと生き方を探究する小さな村であり、アフリカの生活を体験することができる。
そんな場所で、Hakuna matataを運営する団体・ア福リカのメンバーと、B-sideの開催者である株式会社キュリーのスタッフ、そして他の参加者と共に3日間を過ごした。




プログラムでは、教育についての対話はもちろんのこと、ア福リカが提言しているアフリカ的幸福という価値観を軸に暮らす体験をした。対話の時間以外にも、早起きをして朝4時から豆腐を作ったり、鶏を絞めて捌いたり、アフリカでの生活のように手でご飯を食べたりした。大山町の方に、集落のお話や地域に残る歴史について伺う機会もあった。
とにかく、私たちの生きている”日常”では起き得ないことをたくさん経験した時間だったのだと思う。
そんな異国と小さな集落の”日常”の中で、生きることそのものと向き合いながら過ごした3日間は不便で手間がかかることもあった。
Hakuna MatataにはWi-Fiが届かないため携帯はあまり使えないし、夜ご飯を食べるときはランタンを使うので、暗くて見えづらい。それに、早朝から鶏が大きな声で鳴くので、朝早くに目が覚めてしまう。
しかし、嫌だとか面倒だとは1度も思わなかった。そう思う余裕すらないほどに、Hakuna Matataでの暮らし、つまりアフリカ的幸福の中での生き方は、”日常”の1つひとつに面白く、色をつけてくれた。
印象的だったのは、大人たちが1番楽しんでいたことだ。帰り際、参加者が乗った車を見送るときに一番大きく手を振っていたのは、ア福リカの方々だった。鳥を捌いているときも、ご飯を食べているときも、その瞬間を楽しんでいることが伝わってきた。


私はあるタイミングで、その時持っていた悩みをア福リカの方々や一部の参加者に全てぶちまけた。彼らは、否定も肯定もせずにただそのまま受け止めてくれた。
その後も何度も対話を重ねたが、誰もが私のあるがままを受け止め、心から「私」と話をしてくれた。
だんだんと、私は私のままでいいんだ、と思うようになっていた。
そんな大人たちに囲まれて過ごしているうちに、3日目にはすっかり周りのもの全てに目を輝かせるようになっていた。
そんな場所が果たして他にあるだろうか。私の経験上、自分のままでいいと心の底から思えたのは、ここが初めてだったように思う。
「こうしないといけない」「こう在るべきだ」に縛られていた私にとって『B-side TOTTORI』に参加したこと、そしてア福リカに出会えたことは、今後の在り方を変える大きなトリガーとなった。
だからこそ、これまでの固定概念をぶち壊すアフリカ的幸福の在り方を伝えることで、多くの人が人生を軽やかに楽しく生きることができるきっかけになるはずだと考え、私はこうして記事を執筆している。
熱がこもって長くなってしまったが、いよいよインタビューの本編に移っていく。
取材をしたときに田植えのイベントを開催していたため、その写真やコメントも掲載している。イベントの様子や雰囲気と重ね合わせながら、読んでいただければ幸いだ。
(※1)
B-side
中高生向けに学校外プログラムを紹介するメディアなどを運営するキュリー株式会社が、不定期で開催している宿泊型対話プログラム。
テーマは毎回様々で、2024年内に6回目の開催が予定されている。
B-sideのホームページ↓
https://bside.qulii.jp/
—
取材者が参加した『B-side TOTTORI』はこちら↓
https://bside.qulii.jp/tottori
(※2)
今日、誰のために生きる? アフリカの小さな村が教えてくれた幸せがずっと続く30の物語
著者:ひすいこうたろう,SHOGEN
出版社:廣済堂出版
https://kosaido-pub.co.jp/books/book/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%80%81%E8%AA%B0%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%EF%BC%9F/
ア福リカの方々のプロフィール




ア福リカとは何なのか



ア福リカは何をしている団体ですか?



大きく分けて4つかな。
1つ目は日本でのアフリカの村づくりで、自然と近い暮らしをするこのHakuna matataの運営。
2つ目が「アフリカのような村づくりをする」っていう日本での国内ワークショップで、
3つ目がタンザニアとガーナのビレッジ滞在。
ビレッジ滞在は、アフリカの村でホームステイさせてもらって、同行している10人くらいの仲間たちと一緒に対話をしたり、実際に現地の人たちと一緒に暮らして家族になってみる企画。
最後がビレッジマイセルフ。アフリカで一人旅をしたいけど、1人だけだと行ける場所が限られてしまって、なかなかその国の深いとこと繋がれへん。だから、ア福リカメンバーと関わりのある村を紹介して、アフリカでの暮らしをどう過ごすかコーチングするよっていうもの。


ア福リカが表現するもの



ア福リカが目指しているものとして、”村づくり”と”アフリカに行きたい人のサポート”が中心にある印象を受けました。



細かく言うと確かにそうなってくるんだけど、ア福リカの活動で一番表現したいのは『暮らしの喜びは愛し合うことだ』っていうこと。スワヒリ語では『Furaha ya maisha ni kupendana』って言うんだけど。



聞き取れなかった……。



笑。
アフリカに行ってからその考え方と出会ったんだけど、実は世界中のあらゆる場所で共通する考え方なんよね。例えば、インドやラダック、フィジー、そして昔の日本もそう。
だから、人間として喜びを感じながら生きることや、不便さがあることによって感動する暮らしが生まれるっていうのを、たまたまアフリカに魅了された俺らがア福リカの活動を通じて表現してるっていう感じかな。
アフリカ的幸福とは?



”アフリカ的幸福”に気がついた最初のきっかけは何でしたか?



俺は5歳の頃からアフリカが好きだったから、アフリカ独自の幸福、つまりアフリカ的幸福はあると思ってた。
だけど、自分が20歳の時に一度うつ病になって、その後アフリカに行ってとあることわざを教えてもらった。それが、「山と山は出会わないが、人と人は出会う」。
当時、結構人間関係のストレスも抱えていた。実際にアフリカの空気に触れてそのことわざと出会って、ただ人と出会うってことが素晴らしいんだって思った。
それが、アフリカ的幸福を考えはじめた最初のきっかけかな。
「Karibu!! 」って受け入れる



ア福リカが軸としている、”アフリカ的幸福”とは何ですか。



一つはKaribu(カリブ)(※3)すること。
(※3)
Karibu(カリブ)
スワヒリ語で「ようこそ」。全ての出会いを迎え入れること。



俺はアフリカのマンジランジ村っていう所によくお世話になってるんやけど、そこに暮らすゴゴ族の人達は、日本と比べると圧倒的に不便な暮らしをしてる。電気もないし、水道もないし、ガスもない。
そんな不便な暮らしの中にあっても、村の外からの来客を受け入れてくれる余裕があって、来客に収穫物の40%くらいを食べさせちゃう。
その代わり、自分達が他の村に行った時に同じように食べさせてもらえるようになっていて、そうやって生活が回っている。
40%食べさせるってことで「貯蓄はしないの?」と思うかもしれないけれど、一切しない。貯蓄をすると、そこに所有という文化が生まれるから。



どういうこと……?



元々アフリカで使用されている言語には、所有「have」っていう概念がなかった。
どう表現してたかっていうと、共にある「with」。
例えば「コップを持っている」は「コップと共にある」っていう言い方をする。これはスワヒリ語に限らず、他の国の言語でも多い。
所有がなく協力体制が強くて、子どもたちは村のどこでご飯を食べても良くて、誰の子供かっていう区別も何もない。
マンジランジ村は、所有がない形で上手く助け合いながら回っている。
だからこそ、他の村の人が来ても必ず受け入れてくれる余裕がある。いつも多めにご飯を作って、余ったら周りにいるアヒルや鶏、ヤギ、犬、猫、牛、豚とかにご飯をあげる。
そんな大地や地球と共に生きているっていう在り方がとてもナチュラルな人間の生き方だと思った。


「なんでそんなに急ぐんだ!」



他には「なんでそんなに急ぐんだ」ってのもある。



なんでそんなに急ぐんだ……?



アフリカの村の中で「買い物に行かなきゃ」って急いで歩いていると、必ずすぐ止められて「何でそんなに急ぐんだ?」って言われる。
これは、今目の前に出会った人との出会い(今)よりも、なんでその買い物(未来)を優先するんだ?っていう考え方があるからなのよね。
その人からすると、自分とこの通りすがりに挨拶をするっていうことがその瞬間の一番の目的だから。



でも未来を見て急ぐことも大事じゃないですか?



急ぎ過ぎると、必ず目の前にいる人との関係性が疎かになる。
アフリカのことわざで「早く行きたければ、一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」っていうのがあるんよね。
アフリカの人たちって、達成したいことを見失わないように一つ一つをゆっくり踏みしめて進んでいく感じがあって。人の心って、本来はそれぐらいゆっくりなんだと思う。



機械化が進んで便利になったことで、ゆっくりできることが急いでできるようになった。
車に乗って急いで目的地に行くことができるようになったり、洗濯機を回して急いで服を洗えるようになった。さらには自動化が進んだことで、いろんなことを同時にできるようになった。
それによって見逃してるものがないかを、俺はアフリカの人たちから教えてもらってるのかなと思う。



掃除を手で丁寧にしたり、洗濯物を一着ずつ畳んだり、暮らしの一つ一つに丁寧になることで自分自身も磨かれていくような、そんな感覚は確かにあるかも。




アフリカへ行った理由



あかちょとすかっちがアフリカへ行くことになったきっかけをお聞きしたいです。



昔、親から「風に立つライオン」っていう歌を聞かされたことがあって。その歌詞が当時の自分に響いたんだよね。
例えば、
『「現在(いま)」を生きることに思い上がりたくないのです』
『僕たちの国は残念だけれど 何か大切な処で道を間違えたようですね』
『診療所に集まる人々は病気だけれど 少なくとも心は僕よりも健康なのですよ』
風に立つライオン
作詞・作曲:さだまさし



とか。
歌を聞いて、アフリカの情景や描写すべてが自分を呼んでくれてるような気がして。
その時から「私はここに行かないと死ぬことができないな」って思うようになって、時間と共に憧れに近づいていったかな。両親はアフリカへ行くことに反対していたから、まずはアジアで暮らして、旅をしながら生きることができるようになってからアフリカへ行った。



日常の何気ないところに、アフリカへ行くきっかけがあったんですね。



僕はあかちょみたいに、昔から「アフリカに行きたい!」とかは全然なくて、旅を始めたのは大学3年生くらいだったんだよね。
だから最初からアフリカに行っていた訳ではなくて、興味があるないにかかわらず日本も含めていろんな場所へ旅に出ていたな。
だけど、気がついたらなぜか周りにアフリカへ行ったことのある人ばっかりになっていて「なんで自分だけ行かないんだろう」って思って、そのときに初めて行ったかな。



あとは、当時アフリカの子ども兵や貧困の話を聞くことがあって、それが深く印象に残ってた。実際どうなんだろうっていうのを自分の目で確かめに行きたい気持ちも、きっかけの1つだったと思う。


自分のまま生きるために



自分のまま生きるとは何なのか、また、自分のまま生きるためにどうしたらいいのでしょうか。



俺は最近ちょうど自分のままに生きられなかった出来事があって、現在進行形のお悩みかも。
個人としての自分っていう認識はあった上で、相手の趣味や考え方に合わせようとしていたら、「一緒にいて面白くなくなった」って言われてしまって。
自分のままでありながらでも相手に合わせようとするっていうのが自分らしさの一つだと思ってたんだけど、何かもっと違ってた方がいいやんってその人から言われてしまって。
だから現在進行形のお悩みやね笑。



少なくとも、周りを排除したり無視してできることではないのは確かだと思ってる。自分の中にも周りの環境とかそういうものが含まれているから、そういう意味だと自分と他者って区切りきれないものなんじゃないかな。
だから、考え方や環境が外から入ってきて混ざり合っている中で、自分の真ん中にあるものを大事に見て汲み取ってあげれば、自分のまま生きることに近づけると思う。



すかっちの言っている通り、自分って究極を突き詰めていくと区別はないと思う。自分のまま生きるっていうことは、“今、この瞬間を生きる”ってことかな。
お母さんが喜んだら嬉しいし、目の前の人が悲しければ悲しいしっていう、すごくシンプルなことで大丈夫。
その瞬間と心が繋がって、心が感じている事に耳を傾けて、「うんうん、そうだね」って聞いて受け止めてあげる。
そして、その想いに従って動くと、間違いなく本物の喜びが心の底から沸いてくる。
辛くても、嬉しくても、苦しくても、その感情は、生きているからこそ感じられる嬉しいこと。
それを自分で認めて、「じゃあ自分はどうしたい?」って聞いてあげることが、自分らしく生きるっていうことなんじゃないかな。
だから、今を生きる事は、ただ自分が楽しいければいいっていうのとは全く違う。人の心の奥底が喜ぶのは、きっとみんなが笑ってる状態。その繋がっている全部を感じる感覚かな。


(しれっと取材者も寝っ転がっている))
これからを生きる高校生へメッセージ



環境や時代によって違うかもしれないけど、僕は「高校の時が人生の中で一番楽しいから!」って大人たちに言われて育った。
その影響もあって、「学生でいる時間が人生の中で一番楽しい時で、働き始めたら辛いこととかいっぱいある。だから学生時代にいっぱい好きなことをするべきだ」って思ってた。
だけど、自分が決めたら学生のときだけじゃなくても好きなことはできるんだよね。
もちろん年齢が上がるにつれて難しくなることもあると思うんだけど、学生じゃないとできないことばっかりでもないと思ってて。
そういう生き方をしている人はまだ世界の中では少数かもしれないけど、実際にいるよ。だから、そういう人にどんどん会っていってほしい。
そして、何歳になっても楽しく生きるんだって、そういう約束を自分と交わして生きてほしい。
もちろん高校時代もとても大事で、楽しい時間でもある。
けど、きっとその先にもっと楽しい世界が僕たちを待っているから、そんな世界を一緒に作っていけたらいいなって思います。



世界のことなんて気にせずに、自分に必死になれって言いたい。
高校生になると社会問題とかSDGsとか、自分以外の周りのことがどんどん増えてきて身近になってくる。
自分の周りやSNSを見たら、同じ高校生の年代で自分より頑張ってる人たちもいる。それに対して自分が何も行動できてないことに絶望しだしたりして、ついには世界に絶望してしまうんよね。



私の身の回りやSNSには、私以上に頑張っているなと思う人も、社会問題にひたむきに向き合っている人もたくさんいます。
「なんでそんなこと出来るの!?」と尊敬の気持ちが生まれることもあれば、そこまでできない自分に劣等感を抱いてしまうこともあって。
自分は自分で頑張っているはずなのに、「こうでなければならない」と社会に決められていることに押し込められているような気持ちになることもあります。



マンジランジ村の高校生の年代の子たちは、自分の弟たちの世話を全部して、お父さんたちともいっぱい話して、その上で水を運んで、料理も作って、その上で勉強もしてる。
それぐらい今を、自分を必死で生きてほしい。そうすると何かと比べることもなくなるし、周りのことなんてマジで気にならなくなるから。
ただ自分を成長させていく。高校生はそれでいいと思う。
だから、部活でも課外学習でもなんでもいいから、とにかく自分に必死になれ。



違和感を愛して欲しいかな。
私の人生を振り返ると、違和感から動くことが一番大きかったなと思って。
世界に対する違和感もそうだし、今自分のいる環境の違和感もそう。人と人との間の違和感もね。なんか違うかもしれないとか、しっくりこない気がするとか、そういう小さな違和感を受け入れて愛してあげたら、違う方向が見つかるのかなって思う。
一つ一つの違いや違和感を美しいなって思えるだけで、いろんなものを許せて、だんだん自分も許せるようになる。じゃあ明日どう生きようかっていう、生きる希望に変わるなっていうふうに思うから。


終わりに
アフリカ的幸福や、そこから繋がる生き方を少しでも感じていただけただろうか。
ここまで読んでくれたあなたに、私からもう一つアフリカ的幸福を共有したい。
「何かになりたいではなく、今の自分がどうしたら輝くかを考える」
出典:ア福リカホームページ 「アフリカ的福アクションmap」https://afukurica.studio.site/top
言い換えれば、なりたい”もの”ではなく、ありたい”こころ”から行動を考えるということ。
自分が今ありたい姿を心に問い続けながら生きることが、自分のまま生きていくために必要なことなのだろうと私は思う。
自分らしく生きるために、そして、今を生きるために。まずは心の底から湧き上がる声に、耳を澄ませてみてほしい。


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