LGBTについて考える第2弾 僕はペンキをかぶりたい

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文=Яita(りた)(N高5期・ネットコース)

僕には性別がありません。

前回から記事を読んでくださっているみなさん、こんにちは。初めて読んでくださる方は、初めまして。N/S高新聞ライターでLGBT(※1)当事者のりたです。

「性別がないってどういうこと?」と思った方、僕も同じでした。自分でも不思議なことに、僕には性別という概念がありません。しいて言葉で自分の性別を表すなら、男でもなく女でもない『第三の性』と言われる『Xジェンダー 無性(※2)』になります。

何色にも染まっていない、そんな無色透明な僕は、これまでLGBT当事者として生きてきた日々をここにつづろうと思います。

なぜか?

それは、自分と同じように悩んできた人たちのちいさな希望になりたいから。

そして、当事者以外の方たちが理解を深めるちいさなきっかけになりたいから。

※1 LGBTとはセクシュアルマイノリティ(性的少数者)のことで、女性の同性愛を指す『レズビアン』、男性の同性愛を指す『ゲイ』、男女どちらにも性愛感情が向く『バイセクシュアル』の3つの性的指向と、性自認と身体的性が一致しない人々を指す『トランスジェンダー』の各単語の頭文字を取ってLGBTと言う。近頃はさまざまなジェンダーやセクシュアリティをまとめてLGBTQ+と表すことが多い。

※2 Xジェンダーは無性、中性、両性、不定性などいくつかに分かれている。無性は「ノンバイナリー」と呼ばれることもある。

本記事は、僕自身のLGBTに絡むリアルな体験談について書いています。少し重たい内容も含まれますので、嫌なことを思い出したり苦しくなったりした場合には無理に続きを読もうとしないでください。

目次

性の自覚

僕は女の子として生まれてきました。でも女の子だという自覚はなし!

好きなものは仮面ライダーで、好きな遊びはサッカー。男の子の格好をして男の子と遊び、男の子だと思って生活をしていました。女の子の服を着せられるのは泣くほど嫌で、小学校6年間のうちスカートを履いたことは一度もありません。もちろんその頃、LGBTという言葉は知りませんでした。それでも確かに、自分の体の性と心の性が一致していないことを自覚していたのです。

しかし、

僕はある日男の子を好きになりました。それを自覚した僕は大混乱……。

え? 自分は男の子じゃなかったの?

その後、今度は女の子に恋をします。そして僕は更に大混乱……。

え?女の子でもないの?

自分はいったいなに⁉

答えが一向に出ないこの大きな問題から僕は目を背け、それから長い間、僕は自分が何者なのかわからないまま毎日を過ごしました。

ところが、ある日突如として僕は自分の性を自覚したのです。

そのある日、僕のスマートフォンに新たな絵文字が追加されていました。僕はその絵文字が何の絵文字なのか分からず、何気なく調べてみたのです。すると、それは『第三の性』つまり『Xジェンダー』を表す絵文字でした。Xジェンダーを知らなかった僕は、まだ、何のことなのかわかりません。僕は画面をスクロールし、そこに浮かぶ文字を何度も目でなぞります。その言葉の意味を理解した瞬間、僕は、まるで暗闇の世界から引き上げられたかのような感覚に陥りました。世界が違って見えたのです。その時の感動は忘れもしません。

その時から僕の性自認は『Xジェンダー(無性)』です。

主要なジェンダーやセクシュアリティのシンボルマーク

あるある

一人称

一人称といわれてすぐ思いつくのは『私』『僕』『俺』といったところではないでしょうか? これら3つを見ると……性別がある程度特定できますよね。男女のどちらでもない僕にはどれもしっくりこないのです。そのため、今でこそ『僕』を使っていますが、これに落ち着くまでいろいろと試してきました。幼い時から、どうしても『私』が言えなくて、ずっと自分のことをあだ名で呼んでいました。その後は『うち』や『自分』などを使っていました.現在『僕』で落ち着いているのは、格好が女性的なので一人称を男性的にすることでバランスが取れているような気がするからです。

性別欄

書類の記入などで性別に丸を付けなくてはいけない時、一瞬固まります。正直[男・女]の真ん中の点に丸を付けたくなります(笑)。

トイレ

実を言うと、結構な年齢まで学校以外では男子トイレを使っていました。今思えば、なかなかまずいと思います。でも、自分のことを男の子だと思っていたので……。今は流石に男子トイレには入りませんが、女子トイレもやっぱりしっくりこなくて、基本的には多目的トイレや男女共用トイレを使います。

恋をした

僕は中学生になってから女の子に恋をしました。中学3年生の頃です。「自分は男の子だ」という感覚は薄れていて、何者なのか分からなくなっていた時期です。ですから、その女の子を好きになった時には「自分はバイセクシュアル(※3)なのかな」と思っていました。

※3 恋愛対象が男女両方であるセクシュアリティのこと。

ドキドキしながらその子を誘って2人きりでカフェに行ったり、手が触れるたびに心臓を高鳴らせたり、まさに”恋”をしていました。

しかし、悲しいことにそんな恋はあっさりと終わりを迎えます。

休日、ゲームをしているとスマートフォンの通知音が鳴りました。好きな子がSNSを更新したようで、僕は飛びつくようにSNSのアプリを開きました。そこには、「男子は苦手だけど、だからといって女の子とは付き合えないな」という言葉が……。

心が枯れるほど泣きました。

それから1年半後、ようやくその恋に別れを告げられた僕には、彼女ができていました。

その彼女とは恋愛の話から、LGBTについての話になり、そこで彼女がバイセクシュアルであるということを知りました。共に過ごす時間を重ねるごとに距離が少しずつ近くなっていき、お付き合いに至ります。彼女との関係は長く続きましたが、残念ながら僕が病気で入院している間に僕の目の前から去って行きました。

でも、楽しい思い出もたくさんありました。学んだこともたくさんありました。今では、はかなく枯れた恋も、咲いて散っていった恋も、いい思い出です。

Яita

どんな人でも恋をしていいし、愛を受け取ることができます。だから人に恋し、人を愛することをやめる必要なんてないのです。大切なのは相手を尊重する気持ちだと僕は思っています。

明るいメンヘラ

僕はライターであり、LGBT当事者であり、『明るいメンヘラ(※4)』です(笑)。

※4 『メンタル(心)』の『ヘルス(健康)』に問題を抱えている人を指すネット用語。

僕は小学生の頃、学校と塾でいじめを受けていました。

「男好き。気持ち悪い」

と、言われて。

小学生の頃、最初に話した通り、自分のことを『男の子』だと思って生活していました。ですから、必然的に友達は男の子ばかりでした。結果、女の子たちに妬まれ、いじめを受けました。小学校時代に経験したことが僕の人生を大きく変えます。今でこそ、『明るいメンヘラ』ですが、毎日言葉の暴力を受ける中で徐々に僕の精神は病んでいきました。

僕は中学受験をして中高一貫校に入学しましたが、小学校のトラウマは心の深くまで根を張り、中学2年生の途中まで保健室登校をしていました。その後、なんとか新しい人間関係を築いたものの、精神は病んだままでした。

結果、精神疾患を発症して今も治療を続けています。精神疾患の発症に至るまでには他にもたくさんつらいことがありました。しかし、根本の原因はいじめにあると思っています。僕は何度も入退院を繰り返し、その関係でN高に編入したのです。

しかし、僕の人生は変わりました。昔の自分から今の自分を想像することもできない、今の自分から昔の自分を想像することもできません。どん底だった僕の人生が明るいものに変わったという経験から「人は変わることができる」と信じられるようになりました。今日が辛くても、生きていれば違う明日が来るのです。人生はその積み重ねであり、前を向くことをやめなければきっと人は変われます。苦しみの中にいた当時はそう思えなかったけれど今はそう思えます。

Яita

僕が明るいメンヘラになれたように、すべての人に明るい未来が来ることを祈っております。

カミングアウトまで

精神疾患の治療のため、入退院を繰り返す中、僕は病院で自分と同じ無性を自認しているという人に出会いました。その人は、身体は男性で、格好は女性的でした。自分の性別に関して堂々としている様子が、僕の目にはとてもキラキラしているように映りました。「自分もこんなふうになりたい」と思いました。それから、病院内では一人称を『僕』に変え、他人に対しては通称名を使うようになりました。

今度は難関!

……親へのカミングアウト(※5)です。

※5 自分が、社会一般に誤解や偏見を受けている少数派の主義・立場であると公表すること。ここでは性的少数者であると公表すること。

というのも、学校でも通称名を使いたいと思ったからです。そのためには親に話す必要がありました。しかしながら、自分から両親には言えず、まずは仲のいい母方の叔母に伝えました。そして、母にそれとなく伝えてほしいと言いました。もちろん詳しくは自分が話すとも。その後、母から連絡があって母のほうからきいてくれたので、無事に自分のことをきちんと話すことができました。

しかし……。

「お父さんには自分で話しなさい」

実は、僕の両親は離婚しており、親権は父にありました。父は昔から偏見を持っているタイプだったので、最も告白の難しい相手でした。正直、話したくありませんでした。でも、「きっといつかは言わなければいけない。今がその時だ」と直感的に思いました。そして、思い切って告白した結果、驚くほどすんなりと受け入れてくれました。

両親へのカミングアウトという最難関を切り抜けた僕は、周りの友人にも告白をしました。友人たちも父と同様、案外すんなりと受け入れてくれました。それからは、関わる人みんなに伝えるようにしています。予想していた反応とは裏腹に、理解しようとしてくれる人たちばかりで、驚くとともに心から感謝の気持ちがわきました。

Яita

僕は病院で出会ったその人の、堂々と自己表現している姿を見て勇気をもらいました。だから、今度は僕が誰かの勇気を出すきっかけになれたらと思っています。

治療について

ホルモン治療(※6)などをしたいと思ったことがあるかと問われると答えは「yes」です。

※6 ホルモン剤やホルモンの分泌を促進または抑制する薬剤を用いる治療法のこと

時折、自分の体が女であることに対する違和感と嫌悪感が急激に湧き上がります。すると同時に、男性的な要素を持ちたいと強く思うのです。性別を『無』にはできないため、「せめて中間でいたい」という気持ちからくるもので、「ホルモン治療を受ければ男性的な要素が持てるのに」と考え、一時期ひどく悩みました。

この記事を書いている今はどうかというと、ホルモン治療を受けようとは思わなくなりましたが、将来的には多少の治療を受けることを考えています。ここでは専門的な用語が多くなるので詳しくは語りませんが、早い段階で治療に踏み切らなくて正解だったということを伝えたくて書きました。

Яita

僕なりに治療については真剣に考えているつもりでしたが、メリットとデメリットをよく整理して、治療を受けるか否かをゆっくり考えることが大切だと思います。

新しい自分

長い間、髪も服装も、しゃべり方まで男の子だった僕は、ある日からガラリと変わって『地雷系ファッション』に目覚めました。地雷系ファッションとは、ゴシックロリータをカジュアルにしたような『病みかわいい』がポイントのコーディネートのことです。東京の新宿などでよく見かけます。ダークだけど可愛いというスタイルは前から好きだったので、地雷系ファッションを知ってからすっかり魅了されました。それからはスカートを履くのが嫌ではなくなりました。

しかし、その結果、新たな悩みが生まれてしまったのです。

スカートを履いて、髪も伸ばして、外見が完全に女の子になりました。そうなると、LGBTであることを言ってもあまり理解されなくなってしまったというか、女の子扱いされたくないのに『普通の女の子』として見られるようになってしまいました。

女性的な格好をしているのに「女扱いするな」なんてなかなか理解されませんよね。「何言ってるんだろう」と自分で自分を責めてしまうこともあります。

Яita

でも、LGBTかどうかは関係なく、誰だって自分の好きな格好をするのが一番だと思います。誰が何をいおうとそれが自分なのだから。

地雷系に目覚める前
地雷系に目覚めた後

無性別であるということ

無性別って人にも説明しづらくて、自分でも正直よく分かりません。男にも女にもなり切れない。そんな自分がときどき嫌になります。だから僕はペンキをかぶりたい。はっきりとした色が欲しい。でも、これが自分なんだって受け入れて自分のことを大事にしたいです。

LGBT当事者であることは本人が悪いわけではありません。もちろん親が悪いわけでもありません。時々、親を恨む人がいますがそれは違うんじゃないかと僕は思います。誰も悪くないのです。だから感情の矛先がわからなくて苦しむこともあり、だからこそ親を恨みたくなるのもわかります。でも、本当は誰も悪くないのです。

そして、理解してもらえなくても決して理解してくれない相手が悪いわけじゃないと考えています。知らないから理解できないのです。

この記事を読んだ当事者の方には勇気を、当事者でない方には関心を持ってほしいです。

LGBTについての摩擦はお互いが歩み寄ることが何よりも大切だと思います。お互い、相手はひとりの人間です。そのことを忘れないようにしたいものですね。

おわりに

告白するか悩みましたが、あるメッセージを届けたいので告白します。

前に書いた通り、僕は精神疾患を患っています。今現在、僕はその療養のために親元を離れてリハビリ施設に入所しています。

これまでの人生ははっきり言うと辛いことがたくさんあったし、思い出すと涙が出ることもあります。まだまだ心の傷は癒えず、精神疾患の症状に悩まされることが毎日のようにあります。それでも、僕は自分のことを不幸だとは思っていません。僕は施設で出会った人たちのことが大好きです。この道をたどっていなければ、その人達に出会うことはなかったでしょう。だから僕は不幸ではありません。

どんなに苦しくても「これでよかったんだな」と思えたらいいと思うのです。誰が何と言おうと、自分が納得できる人生を送ることが一番大切だと思います。だから、そんな人生を送るために今日も僕は前に向かって進み続けます。時には立ちどまりながら。

Яita

今日も何気ない一日に祝杯を!

次は第3弾、いよいよ最終回です!多様性を受け入れるステキなN/S高の制度についてお伝えします。それでは、また1週間後にお会いしましょう!

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