ポーランドで現地調査した村上財団代表理事・村上玲さんに伺いました 「ウクライナ危機と、私たちN/S高生にできること」(前編)

取材・文=住井 円香(S高1期・ネットコース、投資部3期)
2月24日に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻が続いています。日本でもウクライナ避難民の方の受け入れがあり、ウクライナのニュースにいろんな思いを抱きながら向き合っているN/S高生はたくさんいると思います。
そんな侵攻間もない3月4日にN/S高投資部(※1)で行われた村上世彰(むらかみ・よしあき)特別顧問によるオンライン講義では、講義前に部員から村上特別顧問に対してウクライナ情勢に関するたくさんの質問が寄せられました。当日のオンライン講義の冒頭に、村上氏の二女で、一般財団法人村上財団(以下、村上財団)(※2)の代表理事を務める村上玲(むらかみ・れい)さんが特別参加し、ウクライナ危機における人道支援のニーズを調べるためにいち早く訪れていた隣国ポーランドから、部員たちへ現地の様子をお話ししてくださいました。
今回はこの時の現地調査について、投資部以外のN/S高生にも広く伝えたいと思い、村上玲さんにインタビューをお願いしました。
ウクライナや避難民が最も多い隣国ポーランドでは何が起こっているのでしょうか。そして私たち高校生にできることは何があるのでしょうか。(※インタビューは4月13日にオンライン形式で行いました。)
※ 記事は前・後編の2回に分けて掲載します。今回は前編です。
(※1)N/S高投資部
N/S高投資部は、高校生の時期から株式投資に挑戦することで、社会や経済の仕組みを実践的に学ぶ部活です。部員は村上財団や角川ドワンゴ学園から提供される運用資金を元手に、株式投資に挑戦し、定期的に行われる特別顧問を務める村上世彰さんの特別講義に参加したり、企業訪問・IR問い合わせなどに自主的に取り組んでいます。
(※2)村上財団
村上世彰さんが創設したファミリー財団。東日本大震災をはじめとした災害支援や新型コロナウィルス感染拡大に対する支援、子育て家庭への支援など、主に日本国内の社会的課題解決のために、非営利団体に支援を行っています。

話をしてくれた人=村上玲さん
1994年生まれ。
慶應義塾大学法学部政治学科卒業。
株式会社三菱商事エネルギーグループ石油本部に勤務。
INSEAD(欧州経営大学院)にて経営学修士を取得。
ハーバード大学公共政策大学院、エグゼクティブ養成プログラムに在籍。
2022年2月、姉、村上絢の意志を継ぎ、村上財団代表理事に就任。
趣味は旅行で、40か国近くの国に訪問。
■ウクライナの友人から伝え聞く壮絶な話―「居ても立っても居られない」と現地調査に
ーー村上財団は、どうしてウクライナの隣国ポーランドにすぐに現地調査に出向いたのでしょうか。
私は今年2月、村上財団の代表理事に就任しました(前代表理事は姉の絢さん)。これまでの村上財団は、基本的に日本国内の非営利団体に寄付をするような活動を行ってきました。日々の生活の中で手助けを必要としている方たちに何かできないかということや、日本人として日本社会の暗い影に対して、何かできることはないかということを考えて寄付活動をしてきました。今回のロシアのウクライナの侵攻に関しては、そうした意味では日本からはかなり離れていて、あまり財団として支援するようなことではないのですが、(それでも支援することになったのは)私の個人的な理由が大きかったんです。
2月に財団の代表理事に就任するまで、私はフランスのビジネススクールに通っていました。その時、学生同士で家を借りて住んでいましたが、ハウスメイトの一人がウクライナ出身でとても親しくしていました。彼女から常に、ウクライナの現状を聞いており、彼女の両親はマリウポリ(※ウクライナ東部の都市で激戦地の一つ)に住んでいて、今やっと避難できた状況だと伝えられていました。侵攻が始まった当初から、マリウポリは攻撃が始まっていて、食料や医薬品が足りていないということは彼女からも聞いていました。彼女の親もシェルターから出られないときは、連絡もずっと取れない状態で、「本当につらい」と言っていました。
2月末くらいから、彼女から教えてもらったNGO(非政府組織)団体に個人的に寄付をしたりしていました。しかし、仲が良かった友達の家族が、いつ命を取られてしまうかわからない状況だという話を聞いて、私も個人での寄付だけではなくて、行けるところまで行き、自分が何かできることはないのか、ということをこの目で見なければと思い、居ても立ってもいられず、現地調査に行ったというのが理由ですね。
うちの財団は、あくまでも国内のNPO(民間非営利団体)に寄付をするような財団なので、日本のNGOで規模が大きいピースウィンズ・ジャパンという団体が、ちょうどポーランドに調査に行くということだったので、そこについていく形でポーランドに入りました。
ーー先ほどお話しされていた友人の方も、今はポーランドにいらっしゃるんですか。
友人は別の国にいました。ご両親はマリウポリ出身で、1週間ほど前にやっとポーランドの国境を越えたという連絡がきたところでした。それまでは、1カ月ほどマリウポリのシェルターで生活を送っていたそうです。本人の家も車も、攻撃を受けて跡形もない状態で、飼っていた猫もみつからないと聞いています。身近な人からそういう話を聞くと、本当に壮絶な状況なのだということを感じ、とても衝撃的でした。
ーーポーランドにすぐに行くのも大変だったのかなあと思ったのですが、飛行機などどういう手段で行ったのでしょうか。
私は当時ヨーロッパにいたんですけど、避難民の方に聞いた話では、ウクライナの国境を越えると、危険も特になく、ポーランド国内では普通の生活が続いている状態でした。私がポーランドに行った少し後から、ヨーロッパ発のフライトがキャンセルになったりしはじめたようです。(当時は)基本的に、1日1便はある状態で航空便が出ていたので、思ったよりもポーランドに気軽に行ける状況でした。
ーーポーランドはウクライナの難民の方や避難されている方が一番多いと思うのですが、どういった理由でポーランドに行くことにされたのでしょうか。
私が行った時(ポーランド入国は3月2日)は、ウクライナから国外に出ている避難民の方々が100万人くらいいました。その時点で、大体(避難民全体の)半分の50万人がポーランドに流入しているという状況がありました。今(インタビュー時)は、500万人くらいにのぼっています。
ウクライナとポーランドの国境は、長さにすると500㎞くらいにかけて続いているんです。私が行ったのはフレベンネという国境なんですけど、もっと南に行くと他にも国境を超えるポイントがありました。その場所は、ポーランドとウクライナの国境で、国境を超える避難民の方が一番集まる場所だということでした。(現地調査に)行く前は、歴史的に見てもこんなに多くの避難民が流入することはなかったのではと思っており、避難民の方があまりに一度に集まってきているのでパニック状態になっているだろうということを想定して行きました。
ただ、ヨーロッパはもともと難民をたくさん受け入れており、ポーランドの人とウクライナの人は、民族的にも言語的にも非常に近いということもあって、比較的避難民を受け入れやすいのでは、とも思っていました。

※【メモ】難民と避難民について
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は人種・宗教・国籍・紛争・人権侵害といった迫害から逃れるために国外に逃れた人を「難民」(英語「refugee」)、国内で避難した人を「国内避難民」(英語「Internally Displaced Persons: IDPs」)と呼んでいます。
ただ、今回ウクライナ侵攻で避難している人たちに対して、日本政府は日本も加入している「難民の地位に関する条約」(難民条約)の定義である人種・宗教・国籍・政治的意見などの理由で迫害を受ける恐れのある『難民』に該当しないという見解から、人道上の受け入れのために、『ウクライナから避難してきた人』を『避難民』と呼称しています。現在、この呼称や難民をめぐる法制度が政府で検討されています。
■行政でも団体や組織でもない、自主的に避難民を支えるポーランド一般市民たち
ーー先ほど、ヨーロッパが難民を受け入れることに慣れているというお話がありました。現地調査をしてどういったことがわかったのでしょうか。調査方法や実際の状況を詳しく教えていただければと思います。
私が行った3月の初めの時点でわかったことは、2つありました。1つはパニック状態になっているんじゃないかと思っていたにもかかわらず、意外とパニック状態になっていないという当時の現状です。2つ目は、そうした意外と大変なことになっていない大きな理由が、多くの市民が避難民支援のために立ち上がっているからであると、現地調査で見ていてよくわかりました。
日本では20人とか30人とか避難民の方を受け入れても、「本当に生活の支援できるのか」という議論になっているくらいなので、(ポーランドが当時)50万人を受け入れるということの想像がつかなくて、どんな状況なんだろうと思っていたんです。
ウクライナの国境を超えるまでは2、3日ぐらい皆さん並んでいて、国境を越えるまでとても壮絶だと聞いていました。ただ、いざ国境を越えると、受け入れの準備が整っていて、寄付された生活必需品が山のようにありました。あとは、当時はすごく寒かったので、温かい飲み物がすぐに準備されていたり、国境を越えて行くところがわからない人たちにはすぐに案内の場所があったり、バスで首都・ワルシャワ市内に行くようなバスもありました。
あとは、私が行った当時は、ワルシャワ市内の中央駅の近くにある、すごく大きな文化センターで難民センターを開くという話を聞いていたので、行ってみたら、その難民センターはオペレーションしていませんでした。それだけ大きな場所を準備していたのに、大規模な支援はまだ必要ないということがわかって、閉じていたんです。(その時は)難民センターが各地に広がっていて、そこにある程度、支援物資が届いており、そんなにパニック状態ではないということは、一番驚いたことでした。ただ、今の状態でいうと、避難民全体で500万人と言われ、その半分ぐらいがポーランドの国境を経由すると思うので、現在は、もう少しポーランド国内での支援のニーズは増えているのではないかと思います。
パニック状態になっていない理由の一つには、ポーランドの国境を越えるとEU域内に入るので、EU内の移動が簡単にできるようになり、そこからドイツとかフランスを目指す人も結構多いということがあります。ただ、それでも行くところがわからず、とりあえずポーランドにいる人たちのほうが大多数なので、結構な人数がそこにいる状態です。
ワルシャワ市内の難民センターなどを見て、一番驚いたのが、当然NGOやNPO、行政の人たちが仕切っていると思っていたのですが、仕切っていたのは一般市民でした。ボランティアの大多数が一般市民で、物資も歩いている人たちがどんどん物を持ってきて置いていくので、服とか必要なものとかが全部あるような状態でしたね。
ご夫婦でボランティアをされている方とお話しすると、「普段は仕事をしているけど休んでボランティアをしている。ほとんど眠れていないけれど、自分たちで支援したいという思いからボランティアをやっている」と言っていました。
先ほどの歴史の話になってしまうのですが、ウクライナとポーランドってどちらもスラブ系の国で言語がとても近いんです。知人や親戚がウクライナに住んでいるというポーランド人も多くて、ウクライナの人々に親近感を持って市民が自ら立ち上がっているということに一番驚きました。もし、日本の隣国が侵攻を受けた場合、何万人という単位の避難民を受け入れて、市民が立ち上がって支援するという姿勢が日本にあるのだろうか、と少し考えさせられました。
ーー確かに、一般市民が中心となって携わるのは日本ではイメージしづらいですね。
(日本では)支援も行政任せというようなところがあると思います。欧州には、市民参加を促すようなカルチャーがあるので、そういうのもあって、市民が中心となって立ち上がっているのかなと思いました。
ヨーロッパは、今回のウクライナの件でもそうですけど、当たり前のように、普段からデモとかに参加しますし、社会課題に対して一人ひとりが行動を起こすというのが当たり前の社会なのだと感じました。日本はそれに比べるとどちらかと言えば、国とか行政とかがそういったサポートをするというのが考え方のベースにあるので、意識が違うなと感じましたね。特に、避難民の支援の様子を見ると、こんなに市民の方が立ち上がるんだと大変驚きました。

■今は、死に物狂いで過ごす、食べ物がない、医療品がないウクライナ国内の人への支援をメーンにしたい
ーーヨーロッパの学校で学ばれていて、今回のウクライナの問題やそれ以外の事柄についても立ち上がるというようなことはありましたか。
ウクライナ人の同級生が2名いました。そのウクライナ人の学生たちを中心に、ウクライナ国内で人道支援の活動をしているところに寄付する基金をクラス全体で集めました。確か100万円くらい集まりました。そういった運動は学校全体の中でもありました。
行動を起こすのも、すごく速かったです。ヨーロッパの学校なので、学生もヨーロッパの人たちが大多数で、他人事ではなく自分のことという感覚が強いというのもあると思いますね。
ーー現地調査の結果で、実際にどういう支援をしようという方針になったかお聞かせください。また、新たにわかったことがあれば教えてください。
調査をして、一番必要な支援はウクライナ国内への支援かなと思いました。ピースウィンズ・ジャパンさんが調査した結果でも、ウクライナ国内で活動するNGOと連携して、食料品とか医薬品を届けるような活動に寄付金を使うことを決定しました。その後(ピースウィンズ・ジャパン)は、隣国のモルドバに入って、モルドバでも違う避難民の支援をしているんですけど、今はウクライナ国内でのニーズが一番高いようです。
村上財団としては、支援するときに、武器購入やウクライナ軍への支援などは考え方が異なるので、人道支援のみに限って寄付金を送るということを考えています。ピースウィンズ・ジャパンさんは、医薬品でも、軍隊の人の手当てに医薬品が使われてしまうような軍事に使われるのであれば、絶対に支援しないなど、人道支援に厳しくフォーカスされていたので、引き続き応援していきたいです。
また、今後戦争が長引くにつれて、だんだん寄付金の額も減ってくと思うんです。戦争が終わったら、そこから復興の段階になります。避難民が外に出ているので、そういう人たちが必要としている支援の形も変わっていくので、どこが一番必要な部分なのかというのを常にウオッチしながら、支援を行っていくということを考えています。
戦争の結果にもよると思いますが、戻らないという前提の避難民の人もかなりいると思います。もしも、ロシアとの国境の一部が変わるようなことがあるのであれば、戻ることができない人もかなりいると思います。かなり長い期間、普通の生活ができない状態になってしまうと思うので、おそらくヨーロッパの別の国で生活するということが(避難の考えの)ベースにあると思います。
ーーウクライナ国内への支援をメーンにするというのは、ポーランドがパニック状態になっていないということも理由の一つにあるのでしょうか。
(ウクライナ国内で)今日飲む飲み物がないとか、食事がないとか、ケガをしているのに、何も医薬品がないような状態の人たちのほうが寄付した効果が得られると思っています。日本にもウクライナから避難民を受け入れていますが、避難民の支援は政府が手厚くやっているので、日本にまで来れば、死に物狂いのつらい生活をすることはないと思います。ウクライナの戦争という意味では、ウクライナ国内で一番苦しんでいる人たちのところに、支援を送るのが最優先ではないかと考えています。

※後編に続きます。
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